「北条さん、ごきげんよう。如何お過ごし?」
後ろから、髪の毛を美しく整え、メイクをバッチリ決めたクラスメイト、城鳥蓮華が高笑いしながら、背中を叩き、通り過ぎた。
「城鳥さん……。どうも」
月曜の朝という一番嫌いで憂鬱な時間帯に、こんな高笑いをするのは、頭がガンガンするからやめて欲しい。
「仕方がないだろ、都子。クラスメイトなんだから」
胸ポケットに入っているコンパクトミラーがカタカタと何か話しかけてきた。その動きを手で押さえたあと、そのミラーを取り出し、覗き込む。
普通、鏡には自分が写る。でも、この鏡は違う。
「あなたも朝からうるさいわねえ、闇子。一体どうしたっていうのよ」
そこには不機嫌なわたしの表情ではなく、楽しげな表情の「わたしの顔」が写っている。彼女はこのコンパクトに取り憑いている悪霊、闇子だ。悪霊だけど悪い性格ではないと思う。やっかいなことをしでかすし、イヤミだし。色々と面倒くさい性格の持ち主だけど。
「城鳥のヤツ、いつにも増してめでたい頭だなあ、って思ってさ。あんな朝っぱらから笑うなんてノーテンキにも程があるぜ」
「ええ。そうですけどさ、闇子。月曜の朝って中学生にとって一番億劫な時間って理解して欲しいものだわ」
「ま、そうだよな」
わたしと闇子は同時に溜息をついた。
★
億劫な月曜日の授業が終わった。部活も無事終わった。オレンジと青色の空をバックに大きく背伸びをする。
「頑張れたじゃないか。一日、お疲れ」
胸ポケットの闇子は楽しそうに笑う。
「頑張らなきゃいけないのよ。今日のテスト、ご存じの通りですけど、国語の成績が少し悪くなっているのよ。気合い入れなきゃダメだわ」
「あのさ、都子。一つ話を聞いてくれ。最近、寝不足だろ? 土日だって、ずっと勉強漬けだったじゃないかよ。身体を壊したら元も子もないぜ」
「でも……」
「でも、はナシ。今日は寝ろよ、ちゃんと」
闇子ってば。悪霊のくせに健康には気を遣えって変なの。まあ、いいや。
突然、高笑いが聞こえてきた。
振り返ると、城鳥が手紙を差し出し、
「今週の土曜日、わたくしの家でお引っ越しパーティを行いますの。来てくださらない?」
また高笑いをした。
「は……はあ」
なにも言えず、ただその手紙を受け取る。
「それでは!」
城鳥は高笑いしながら、そのまま下校していった。よく喉が枯れないわね、と感心する。
「都子、やっかいごとに巻き込まれそうな予感がするぜ。悪寒ぐらいのな」
闇子は小声で呟いた。
★
土曜日がやってきた。
「こんな服で良いか」
鏡を前にリボンを整える。
「よく似合っているな、あたしたち」
「それって自画自賛なわけ?」
わたしはコンパクトミラーの中の闇子を睨んだ。
地図を頼りにやってきたのは、わたしの家から急行二駅、駅から三分。
まるでお城のような家だった。と言っても、明るいイメージとは真逆。薄暗く、不気味な雰囲気がする。悪い魔女の城のようだ。
「ねえ、闇子。見てよ、これ。こんな家、日本にあるものなのね」
「悪趣味だな」
闇子はわたしの目を通して不気味な城を見ている。
「悪趣味って。悪霊が何を言っているのよ」
「悪霊と悪趣味は関係ないだろ? 事実、悪趣味な家なんだし。まるで悪い魔女の城だぜ」
わたしと闇子の意見が一致する。こういうことは結構な確率で起こるのが憎らしい。
「ああ、北条さん! 来てくださったのね! うれしいわ」
玄関の方を見る。大げさに笑う城鳥さんが現れた。
家の中を一部屋一部屋案内された。城鳥は長々と嫌らしい笑みで説明する。でも頭の中には全く入ってこない。面倒くさい感情の前において、その説明は雑音にしか聞こえない。
「なあ、都子」
「なに、闇子」
「あたしは一般家庭で育ったから知らないけどさ。セレブって引っ越しパーティなんてするものなのか?」
「知らないわ。そもそもわたしはセレブリティじゃないわよ。ただの古武道の道場の娘なだけですからね?」
「何もないあたしに比べたら、都子は十分セレブリティだぜ」
闇子がそう吐き捨てた瞬間、
「北条さん、話、聞いておりますの?」
城鳥は振り返り、わたしに詰め寄った。
立食的なパーティが始まった。メンツはクラスや城鳥が所属している管弦楽部の後輩たちだ。よく知っている顔を見るとなんだかホッとする。
「お、北条じゃん。お前まで呼ばれたのかよ。その格好、結構可愛いじゃん。馬子にも衣装って本当に言うんだな」
つり目の幼馴染み、愛田相がお行儀悪くサンドウィッチを頬張る。
「酷いな。真実を言っちゃうなんてさ」
闇子がいつも通りイヤミなことを言ってくる。
「あなたも同じ格好でしょ! さっきと言っていることが違うじゃない」
「からかっただけじゃないか!」
反論する闇子が憎たらしくてポケットを叩く。
「闇子がなにかまたからかっているのか?」
愛田はニヤついた顔でわたしの顔を覗き込む。
闇子の存在を知っている人は知っている。愛田もそのうちの一人だ。
最初のうちは「演技」だと思っているようだったけど、闇子とわたしのやりとりがあまりにリアルのためか信じざる得なくなったようだ。演技でこんなことをやっているだなんて思われるのは非常に不本意。だけれども、鏡の悪霊と会話しているだなんていうオカルトを信じる人はそうそういない。故に、最近わたしはキャラ変をしているのでは、という疑いもかかっている。もう、ホント、イヤ。
まあ、彼が闇子が存在しているって分かっているのにはもう一つ理由があるんだけど。
「都子、なにボサッとしているんだ」
闇子の言葉で我に返る。あなたの存在のことを考えていたのよ、と一言言いたかった。言っても仕方がないから言わないけど。
突然、ガラスが割れた音がした。それと同時に女性の悲鳴と地面になにかが落ちた音がした。
「なにごとだ?」
愛田はサンドウィッチを飲み込む。不穏な音がする場所に騒ぐ周りの人たちは蓮華さんが落ちたと口々に言う。わたしも見に行こうとしたとき、ポケットのコンパクトミラーが震えた。
「なによ、闇子」
コンパクトミラーの闇子を覗き込む。
「ん……。いや。あのさ。後ろからイヤな気配がする。気をつけろ」
「やめてよ、悪霊がそんな不穏なコト言わないでよ」
闇子の不穏な言葉にヒヤリ背筋が凍る。
風を切る音がした。
「何事が起きたんだ?」
愛田は素っ頓狂な声で叫ぶ。
まっすぐ前を見たとき、顔から血の気が引いた。
だってさ、壁にケーキを切る包丁が刺さっているのだから。丁度わたしの目の高さ。
振り返ると、ナイフやフォークがふわふわ浮いていて、鋭くとがったほうがわたしのほうを狙っている。
第六感を頼らなくてもわかる。これは危険だ。
「北条、逃げるぞ!」
「言われなくっても!」
愛田はわたしの手を握ると、玄関に向かって走り出した。
「愛の逃避行ですかい?」
「バカ言っているんじゃないわよ。こちとら生命の危機なのよ!」
闇子に皮肉に走りながら息も絶え絶えに文句を言う。
後ろを振り向くと、わたしたちが走るスピードよりも速い速さでナイフやフォーク、それにお皿や椅子やらテーブルやら、とにかくこの家のモノがわたしに襲いかかってくる。
とうとうわたしたちに追いついてしまった。
「伏せろ、北条!」
愛田がわたしの背中を強く押し倒した。
鼻を思い切り打つ。痛い。鼻血でないかな。
愛田の悲鳴が聞こえた。食器が割れる音もする。顔を上げると、フォークやナイフ、皿などが愛田の頭上に落ちていた。フォークが愛田の腕に刺さっている。痛そうだ。
「大丈夫?」
駆け寄ろうとしたら、
「逃げろ!」
愛田は大声で叫ぶ。
愛田は怪我をしているし、目の前には次々と食器が押し寄せてくる。
どうしよう、この状況。
「ポルターガイストなんかな」
闇子はのんきに笑う。
「さっさと逃げようぜ。都子。愛田がせっかくかばってくれたのに、逃げないのはもったいないぞ」
闇子の言うことは非常に薄情だ。でもせっかくかばってくれたのに、外に出て助けを求める機会を失うのは非常にもったいない。
「じゃ、あとは任せた!」
わたしは愛田に別れを告げると、玄関ホールまで来た。玄関のドアを開けようとする。
開かない! ピクともしない! どうしよう。
「どういうこと? え、閉じ込められた?」
「鍵はかかっていないようだ。ってことは、あたしたちの真後ろにいるアレに完全に閉じ込められているな」
焦るわたしに闇子は溜息をつく。
「どういうこと……?」
闇子の言うことがよくわからない。とりあえず恐る恐る後ろに向く。
そこには白装束の真っ黒な髪の女性が不気味な笑顔を湛えてこちらをガン見していた。彼女の周りにはたくさんの食器。
「どうやら、悪い魔女――もとい、地縛霊のお出ましのようだな」
闇子の言葉に全身から血の気はなくなった。フラフラめまいがする。
「私はひっそりと過ごしたいだけなのよ。こんな明るい雰囲気は嫌い」
地縛霊は大きく目を開け、こちらを軽蔑の目で見ていた。なんでそんな怖い顔をするのよ……。空調が効いてて心地良い暖かさがあるはずなのに、寒気が起きる。
「こんな賑やかなの、嫌い、嫌い、キライ!」
食器は大きく宙を舞う。そして下に落ちる。まるで地縛霊の感情のようだ。割れる音で耳が痛い。
「他の奴らは消したわ。あとあんたさえいなくなれば、また静かになる!」
地縛霊はわたしに向かって、包丁を大きく振りかぶった。
視界は一瞬暗くなった。
「おい、姉ちゃんよー。そんな八つ当たりなんてやめてくれねえかな」
視界が戻るとわたしの「身体」は包丁を持った地縛霊の腕を掴んでいた。
今のわたしの「身体」を動かしているのはわたしではない。闇子だ。
無茶、雑に言うと、闇子はわたしの身体を乗っ取った。とはいっても、外の状況は自分の目を通して見ることは可能だ。
闇子の乗っ取りを「演技」として見られるのが一番の不本意だ。って、今はそのことを考えるときではない!
「賑やかなことをして申し訳ねえけどさ。今の住人を襲うのはお門違いってもんよ」
闇子は幽霊の腕を捻った。驚いた幽霊は包丁を落とす。闇子はその包丁を蹴飛ばす。
「なんで私に触れられるの? あんたは何者?」
地縛霊は恐ろしい顔……そうまるで鬼のような顔つきになった。
「あんたと同じ悪霊さ」
闇子はニヒルに笑う。
「悪霊がどうして人間を助けるわけ?」
「人間を助けるんじゃなくて、あたしはただこの身体(ひと)を守っているだけさ。なくなったら困るモノでね」
闇子は高らかと笑うと、真剣な目をして、
「あんたはさっさと諦めて安らかに寝ろよ。ここからは大人の時間だ」
地縛霊の腹にハイキックをきめた。
「闇の力を以て天誅を下す! 今、この家の持ち主は住んでいるのはお前じゃなくて、この家を買った人物だ。それぐらい理解しろよな!」
闇子は地縛霊に見事に下から突き上げるパンチを食らわせた。
地縛霊は悲鳴を上げ、消えていった。
「ふう、いっちょ上がりだな」
闇子は大きく背伸びする。
「ねえ、闇子。突然身体をとるのはやめてよ」
「んな事、言われたって、あのまま死んだら共倒れだろー。仕方なかったんだ。諦めろ」
闇子はわたしが映るコンパクトミラーを見て、疲れた表情をする。
そこに腕から血を流す愛田が現れた。
「おい、都子! オレを置いて逃げるって酷いじゃないか!」
愛田はわたしの「胸ぐら」を掴む。
「逃げろっててめえが無駄なヒーローイズムだしたからだろ」
「そこはあなたを置いて逃げられない、って言うところだろうに!」
闇子は溜息をつき、
「なあ、愛田くんさんよ。一つ忠告してやる。言ったことには責任を持て」
愛田に哀れみの笑みを浮かばせる。
「もしかして、今、闇子なのか? 今、都子はオレに対してなんて言っている?」
そう、この通り、わたしと闇子間ではコンパクトミラーがある限り、意思疎通できるのだけど、他の人は「身体」を動かしている方としか会話が出来ない。
「バカなヤツ、って。そうだよな、あたしも都子に同意するぜ」
ウソを言うな、ウソを。事実、愛田はバカだけど。
パーティ会場に戻ると、何事もなかったかのように盛り上がっていた。愛田によると、まるで時間が戻ったかのようだったと言う。事実、愛田の怪我は消えていた。
数日後。
闇子が身体を貸してくれ、といつも以上にお願いされたので、仕方なしに貸すことにした。
闇子はゲームオタク。将棋からボードゲーム、カードゲーム、家庭用ゲーム機、アーケードゲームまでなんでも好きな子だ。てっきりゲームセンターにでも行くのかと思っていた。しかし、意外にも起こした行動はわたしのパソコンによるネットサーフィンだった。
「なにしようとしているのよ」
デスクに置かれたコンパクトミラーから闇子を見る。
「ん……。事故物件情報サイト」
「事故物件情報サイト?」
闇子が不思議なことを言う。
「ああ。文字通り投稿された事故物件をまとめるサイトだ。以前、そういうのがあるって聞いたことがあってな。で、今回のあの地縛霊の言葉がなんか突っかかってさ」
「はあ」
「あ、あったあった」
闇子はクリックする。
「あの蓮華の家、その昔、孤独死した若い女性がいたそうだ。確かに陰キャに陽キャはウザいだろうな」
「なんですって」
わたしは自分の「目」で画面を見る。
確かに蓮華の家の場所にマークがついていて、吹き出しには三年前孤独死した二十代前半の女性がいたと記述されていた。
「まさに曰く付きってヤツだったんだ。あいつの親も凄い家を買ったものだな。んじゃ、満足したし、返すぜ」
一瞬、目の前が暗くなった。視界が戻ると、身体の自由も戻った。