ここは喫茶「がじぇっと」。大勢のお客で大賑わい……というわけではないが、入れ替わり立ち替わりで、お客さんが入ってきている。
その中で、カウンターでずっと座り込んでいる中年の女性がいた。
それは容姿は老けていたためか恵まれてない……例え若かったとしても、やせこけた身体にくすみ肌、乱れた縮れ毛といった容姿で、美人の部類には到底入らないだろう女性だった。
女性は、マスターの後ろに飾ってあるポスターを見て、
「あら。このポスター、スペル間違っているわね。正しくはエルじゃなくって、アールよ、アール」
と呟いた。そして、しばらくして、その女性は「がじぇっと」の髭面のマスターに声をかけた。
「ねえ、マスター。やっぱり、男性は美しい女性の方がいいのかしら?」
マスターは
「いや、僕は知的な女性の方がいいですね」
無関心に答える。
女性は、ぐっとつばを飲み込み、
「あのですね、相談なのですが、きいてもらえます?」
と言うと、マスターの言葉を待たずに
「私、教員やっているのですけど、こんだけがんばっているのに、学校のホームページに私を載せてもらえないんですの。写真一枚もですよ? きっと老けてて、醜いからだと思うのですが、それはあまりにもひどいと思いませんか?」
ここまで一息でこう吐き捨てた。
「は……はあ」
マスターは少し驚き呆れた表情をする。それに気がついた女性は
「えっ、あっ……すみません……」
と顔を赤らめ、
「ごめんなさい。私、大人げなかったですね」
と謝った。
「先生は学校のホームページに載って、目立ちたい……という訳ですか」
「古森くん!」
黒いエプロン姿の古森と呼ばれた少年が奥のテーブル席から使用済みのカップを持ちつつ、女性に話しかけた。マスターは叫び、止めようとしたが、女性は古森の言葉に食いつく。
「え……えぇ。そうよ。――でも……そんなの叶いっこないわ」
女性はそう言って、顔を隠す。
「ボクならその願い、叶えさせることができますよ」
「えっ」
女性は白髪交じりの縮り毛を揺らし、古森の方をみた。
「えっ。本当に?」
古森は首を縦に振り、
「ええ。本当です。あなたが願えば、ですけどね」
古森はほほえむ。
「お願い! ねえ、私の思いを叶えて!」
女性は古森に訴えた。
「なら、願ってください」
古森はそう言うと、指をパチンと鳴らす。その様子を見たマスターは呆れ顔でため息をついた。
翌日、女性は高校のホームページのトップに載った。その上、一週間後には、やり手教師として、地元の雑誌に載り、女性の心は弾んでいた。
しかし、そのまた一週間後のこと。女は、生徒のこんな声を聞いた。
「あの先生、前々から出しゃばりで嫌いだったけど、ここまでくると、あきれるわね」
「ブッサイクなババアが目立っているなんて、世も末だわ」
女はショックを受けた。やっぱり、醜いから、私は駄目なのだわ、と。
女は、ふらふらと「がじぇっと」に再び足を運んだ。そして、またコーヒーを注文すると、
「ああ! 私はなんでこんなに醜く生まれてきたのだろう!」
とうなだれた。
「あれ? ボクはあなたの願いを叶えましたよ。なのに、一体どうして、あなたは悲しんでいるんですか?」
カウンターを拭いていた古森は、女性に話しかける。
「やっぱり、醜いのは駄目なのよ……ブスが目立っちゃ駄目なのだわ」
と女は泣く。
「コモリー! ちょっとドア開けて。荷物で両手がふさがっているのよ」
と、ドアの外から、若い女の子の声が聞こえてきた。
古森はドアを開けると、そこには、大きな段ボールを抱えた篠座ひびきがいた。
「ひびき、なにこれ」
古森はひびきに尋ねる。
「んー今度、学校行事があってね、結構めんどくさいんだけど、引き受けちゃって。……って、先生、どうしたんですか?」
ひびきは女の姿に気がつくと、ひどく驚いたようで、あやうく抱えていた段ボールを落としそうになった。
「ねえ、また願いを叶えて! 絶世の美女に私はなりたいの! ねえ!」
女性は古森の腕をつかむ。
「先生、だめです! こいつの力を借りちゃだめ!」
ひびきは荷物を置くと、女性を古森の間に入ろうとする。
「叶えたいことがあるのなら、それを叶えましょう」
女性の腕から離れた古森は、静かに指をはじいた。
「コモリのバカぁ……」
ひびきは、はあとため息をつく。そして、女性の方を見た。
「えっ……あなた、誰?」
そこにいたのは、さっきまでの醜い女性ではなく、ぱっちり二重で、真っ赤な唇に高い鼻を持った……まさに絶世の美女だった。ひびきも大きい方だが、それに輪をかけて胸が大きく、くびれていて、足がすらりと長かった。
窓に映った自身の顔を見た女性はとても喜んで、「がじぇっと」から去った。
ひびきは
「明日、学校が荒れるわ……コモリ、あんた責任もちなさいよ?」
それに対して、古森は
「何で? あれはあの女性の理想像なんだよ? ボクはそれを叶えさせただけだし」
と首を傾げた。
翌日のこと。
女性は、学校に時代錯誤のスパンコールで出来たボディコン姿で現れた。そして、どかっと、自身の席に座り、仕事をしようとした。しかし、眼鏡をかけた彼女と仲のいい生活指導の教員が女性の前に立ち、
「ここはあなたの席ではありませんよ。出てってください。それとも学校の風紀を乱しにきたのですか?」
と怒った口調で告げた。
女は怒り、
「私が美しくなったのが、そんなにうらやましいの? このブス!」
と同僚を罵った。
「身も知らない人に、ブスと言われる筋合いなんてないです。出てってください。ここは学校です。学びの場です。あなたのような下品なのは、不必要です!」
生活指導の先生は、ピシャリと言い切ると、女の腕をつかみ、校舎を出て、裏門の外へ追い出した。そして、門を閉め、キッと睨みつけると、校舎へと戻っていった。
女は半泣きで、「がじぇっと」にいる古森を訪ねた。
「古森くん! ねえ、どうしたらいいの?」
女性は古森にすがりつく。
「え、一体全体なにがあったっていうんですか?」
古森は女性の切羽詰まった様子に、戸惑いを隠せない。
「やっぱり! ここかあ!」
ひびきははあはあと喘ぎながら、鈍い鈴の音を立てて、「がじぇっと」に入ってきた。
「先生。目を覚ましてください。目立つことがそこまで重要ですか? 美しいことがそこまで大切ですか?」
ひびきは女に対して静かに訴えかけた。
「なによ……篠座! あなたはまだ若いし、美しいからわからないかもしれないけど、ブスは損なのよ? わかる? やっても評価されないのよ? 悔しいのよ! 私は!」
女は叫んだ。
ひびきは残念そうな顔をして
「あたしは、先生の授業が好きだったのにな。わからないところをしつこく聞いても、丁寧に答えてくれる先生だったから、好きだったのに。先生が、目立ちたいためだけにがんばっていたなんて、そんな薄っぺらい人間だったなんて。あたしって人を見る目がなかったのね」
と言うと、店から出ていった。
女は、
「そうよ……私は何のために教鞭を執っていたのかしら……? そうよ、そうよ。私は……!」
と呟くと、古森の方を見て、こう叫んだ
「コモリ君! なにもかも元に戻して! なにもかもなにもかも!」
古森は微笑んで、
「はい、わかりました」
と言って、指をはじいた。
それから、醜い容姿に戻り、目立つこともなくなった女性は、もっと精を出して、仕事に打ち込むようになった。そのおかげか、彼女の担当する授業を受け持つクラスは、みるみる成績が上がっていった。
もちろん、その中にはひびきも含まれていた。
「やったわ! 偏差値があがった!」
成績表を片手にひびきは喜ぶ。
「ねえ、ひびき?」
古森はカウンター席のひびきの隣に座ると、
「あの先生が幸せになったのは、キミのおかげだよ。ありがとう」
と言った。そして、
「人間の本当の幸せを叶えられるのは、ボクの力ではなくって、言葉なのかもね」
と悲しそうに微笑んだ。