衣替えも無事に済み、気がつけば梅雨に入った頃のこと。
「がじぇっと」がある翠埜市の隣町の学校、私立組川大学付属高校で、昼休みに二年三組の中心的メンバーが、派手な髪とメイクをしている少女を
「ええ。アイカさんはすばらしい!」
「あまりの迫真の演技に、涙が出ましたよ!」
と口々に褒めていた。
派手な少女――「鈴村アイカ」は高笑いをすると、
「そうよ、わたしは素晴らしいに決まっているのよ」
と高らかに叫ぶ。
「果たしてそうかなあ」
オレンジのお下げの少女が近づき、アイカの言葉に異論を唱えた。アイカは不機嫌そうににらみつける。しかし、オレンジの少女は一向に気にするそぶりもせず、
「台詞、所々間違っていたし、あの場面の涙を流す演技も、ミスマッチだと思うよ」
と丁寧、かつ静かに言った。
すると、アイカの取り巻きの人々が
「なんだよ、大竹口。アイカさんに文句があるって言うの?」
「アイカさんが羨ましいだけでしょ!」
「アイカさんに嫉妬するなんて、なんておこがましいの!」
とオレンジの髪の少女、大竹口文子を責め立てた。
「責めてなんかないよ。ただ……ただあのミスさえなければ、もっと良いお芝居だったのにな、って思っただけで」
文子はそう言って、顔をしかめる。
しかし、彼らは全く文子の言い分を聞かず、
「ネクラ女が何を言っても、アイカさんの素晴らしさは変わらない!」
「そうだ! そうだ! アイカさんは大竹口と違って、何をやらせても、すばらしいんだ!」
と騒ぐ。
アイカは
「ねえ、大竹口。どうして私の素晴らしさを分からないの?」
と、艶めかしく文子に尋ねた。
「分からないも何も。ただのクラスメイトじゃないのさ。それ以上のそれ以下でもないわ。みんながおかしいのよ。ただのクラスメイトにそこまでおべっかをつかうつもりなの?」
この文子の答えに、
「は? 人としてサイテー! なんでそんなに冷たい言葉が吐き出せるの?」
「大竹口は心がないからねえ。だからあの迫真の演技が伝わらなかったんだよ」
「人間だったら、到底こういう最低なことは言えないよ」
彼女のクラスメートはより一層酷い罵倒を浴びせる。
「わ……わたしはただ……」
文子はここまで言うと、自分の席に戻り、机にうつぶせになった。
「大竹口……。あんま気にすんなよ。あんな奴、気にしちゃだめだ」
と隣の席の野暮ったい男子が慰める。そのほか、数名の女子も文子を慰めに来た。
「べ……別に気にしていない」
文子は伏せながら、答えた。声は震えていた。
☆
その日の放課後、湿った空気の中で、アイカは一人で参考書を買いに、県庁所在地である翠埜市まで電車で来た。
結局、いい参考書は見つからず、
「サイアクー。テンション下がるわあ……」
大きな欠伸をしながら、アイカは本屋の自動ドアから現れる。
「あー本屋さんって、おなかが空くわ……。頭使うからか。あはは。どこかでなにか食べようかな……」
アイカは軽い調子で独り言を言っていると、ある一軒の店が目に飛び込んできた。
「喫茶がじぇっと、ねえ……。いいわ。ここでお茶しましょ」
☆
「がじぇっと」に入店したアイカは、三〇分後、注文したタマゴサンドとコーヒーを平らげていた。コーヒーをおかわりしようか、と思い、
「ちょっと、すみません!」
と声を上げた。
☆
五分後、店の扉から、白いセーラー服姿のひびきが入ってきて、そのままアイカの元にやってきた。
「ごめんなさい。今、ちょっと二人が手間取ってて。あたしでよければ、注文を受けますけど」
慌ててきたのか、ひびきは喘ぎながらアイカに聞く。
「あんた、敬貴高?」
アイカはひびきに冷たく尋ねる。
「え……えぇ……。そうですけど?」
息が整ったひびきは、素っ頓狂な声をだす。アイカはテーブルに膝をつくと、
「ふうん」
アイカは冷めた目でひびきを見る。
「わたしの人生、何もかもうまくいかない……高校失敗したから、滑り止めしかいけなかったし……」
アイカは片笑みすると、
「まあ、慣れたらそれなりに楽しいけどさ。ただ一つのことさえなければ、だけど」
「それがあなたの願いですか?」
ひびきは声のある方をみると、古森が顔を青ざめた表情で、笑っていた。
「あんた、もういいの?」
ひびきは古森に聞く。
「うん……もう大丈夫。ただカップを八つほど割っただけだから。ダイブ、オコラレタケド……」
古森は目を瞑って、引きづった声を出した。
その後、古森はアイカの方を見て、
「で、あなたには願いがあるんですか? ぼくは三つまで願いを叶えることが出来ますけど」
と和やかに尋ねる。
アイカは
「本当に叶うの?」
と訝しげに聞く。
「コモリ、あんた、本当に懲りないわねえ」
と、ひびきはため息をつき、カウンター席に座る。
「まあね」
古森はひびきを一瞥すると、
「ってことで、叶えたい願いはありますか?」
とアイカに尋ねた。
「ん……あるにはあるわね……ありすぎて、ヤバいわ……」
アイカは腕を組み、首を落とすと、
「そうね……いろいろあるけど、一つずつ使っていこうかしら」
と言って、両手を叩き軽い音をだすと、
「クラス全員をわたしの言うとおりにさせて!」
と大声で叫んだ。
「では、叶えますね」
と言って、指をはじいた。
☆
翌日。
アイカが教室に入ると、文子も文子を慰めた人たちも含め、クラス全員がアイカを取り囲んだ。
そして、皆、頭を垂れると、
「アイカさん。自分たちはすべてアイカさんの言うとおりにさせて頂きます!」
と叫んだ。
「う……薄気味悪いわね……」
アイカは戸惑う。本当に願いが叶ったのか、と驚く。しかし、
「あのバイトによるドッキリかもしれないわよね。これ……」
アイカは頬に手をやり、数秒間考えると、
「んじゃ、ちょっと試してみようかしら……。大竹口、ちょっと来なさい」
と言って、文子を呼ぶ。
「なんでしょうか」
「大竹口、ねえ。あんパンとカフェオレ買ってきてちょうだい」
大竹口は、少し躊躇したそぶりを見せたが、
「分かりました」
と答え、鞄から財布を取り出すと、教室からでた。
☆
その放課後。
「がじぇっと」の前に、オレンジの髪をお下げにしたブレザー姿の少女が立っていた。
「『がじぇっと』かあ。何年ぶりだったかな。そんな風変わりなのを雇ったのねえ……。篠座のおんちゃんらしいや」
少女がそう言って、店の扉を開けた。
いらっしゃいませ、という少年の声が聞こえるか聞こえないかぐらいに
「あの。叶えて欲しい願いがあるのですが」
少女は、静かに用件を告げた。
☆
翌朝のこと。
土曜日で学校が休みだったひびきは、朝から「がじぇっと」で古文の勉強していた。
「ねえーコモリー。徒然草、わけわかんないわ。あんた神でしょ、教えてよ」
「ボク、実はそこまで古くないんだよね……」
古森はカップを拭きながら、困り顔でそう言った途端、ドアが勢いよく開く。
「ねえ! もう二つ、願い事叶えられるわよね? あいつ、言うことは聞いても、口答えばっかりするんだもの!」
息を荒げた鈴村アイカが扉の前にいた。
「え……ええ。できますけど……」
アイカの恐ろしい形相のため、怖じ気づく顔をした古森は通算九個目のカップを割るところだった。
「んじゃ、叶えてよ。わたしの願い……『大竹口を何もかもあたくしの思い通りにして!』」
アイカは天に届かんばかりの大声を張り上げた。
「……わかりました。それがあなたの願いなら……叶えますよ」
古森は静かに指をはじいた。
「これで、あの女もわたしの言うとおりになるのね……」
アイカはそう呟くと、鞄からスマートフォンを取り出し、画面を数回触っていく。
そして、それを耳に当てる。
「あ、大竹口? そ、わたし。今ね、翠埜の駅前商店街の『がじぇっと』っていう喫茶店にいるんだけど……? 今すぐ来なさい。直ちに来なさい。分かった? 分かったなら、返事して!」
と叫んで、電話を切った。
それから、古森に
「んじゃ、おなか空いたわ。メニューちょうだい」
と言って、高校生が一回に払えるとは到底思えない金額分を注文した。
一時間後、あらかた注文したものを食べ終えたアイカは、
「ふう。満足満足。あとは、大竹口が来るだけだわ」
その刹那、静かに鈍い鈴の音が鳴った。
アイカは厭らしい笑みを浮かばせ、店の扉の方を見る。
「鈴村さん。お呼びしましたか」
そこには大竹口文子がいた。
「ふみちゃん?」
ひびきは突然のことに驚いて、大きな声を出す。
「大竹口。ここの支払い。まかせたわよ」
「……分かりました」
その返事を聞いたアイカは大声で笑うと、
「んじゃ、あとはよろしく」
と言って、「がじぇっと」の外へ出た。
「ちょっと。ふみちゃん?」
ひびきは青ざめた顔で文子の目を見る。
「あ、ひびきちゃん。元気してた?」
ひびきよりも顔を青ざめさせながらも、文子は気丈に答える。
「元気をしても……なにも……。どうして……」
ここまで言ってから、あらかた状況を把握できたひびきは、目検にしわを寄せ、古森の方を見、
「ちょっと、コモリ! イジメに荷担してんじゃないわよ!」
と、がなった。
古森は
「イジメとかそう言うのって、本人が決めることじゃないの?」
と我関せずと言わんばかりに、言い放つ。
古森に反論しようと、ひびきは再び口を開こうとすると、
「いや、こうなることはわかっていたよ、ひびきちゃん。でもわたし、そこまでバカじゃないから、大丈夫」
文子は古森とひびきの間に立って、二人の顔を交互に茶目っ気のある目で見つつ、微笑んだ。
「えっと。古森さん……だったよね。改めて自己紹介するよ。わたしの名前は大竹口文子。ひびきとは幼稚園の時からのつきあいなんだ。年は一つ上だけどさ」
文子は古森の方を見てウィンクをする。
「でさ、わたしの願いもまだ残っているよね?」
文子は不安そうな顔で古森に聞く。
「残っていますけど……如何なさいますか?」
古森はたおやかに微笑む。
「んとね、古森さん。わたし、もう一つ願い事が出来たんだ」
文子は大きく息を吸って、吐くと、
「わたしの二つ目の願いは、『鈴村アイカの不正が暴かれること』」
と、まっすぐな目で古森を見て言った。
「ふみちゃん。どういうこと?」
ひびきは聞く。文子は鈴の音を鳴らすような軽い声で笑うと、
「古森さんの力が本当なら、すぐにわかるよ。ね、古森さん。お願い」
文子は古森の手を握る。
「わかりました。叶えますよ」
古森は指を鳴らした。
「最後の願いを叶えさせて!」
次の日曜日の朝、鈴村アイカが鬼の形相で、開店前の「がじぇっと」の扉を開いた。
「……古森くんはまだ来ていないよ」
マスターはカウンターの奥から出てきて言う。
「このクソ親父! 今すぐあいつを呼びなさい!」
アイカはマスターに食いつく。
「って言われてもねえ……古森くん、電話、持っていないし……」
マスターは頬を掻く。
「おはようございます……」
大きな欠伸をしながら、古森が入ってきた。
「あたくしの最後の願いを叶えなさい!」
アイカは古森の胸ぐらを掴んで怒鳴った。
「別に良いですけど、どんな願い事ですか?」
古森の金色の目がきらりと光った。
「あたくしが警察に捕まらないようにして! 口止めしていたのに、わたしのやってきたことが何故かすべてバレちゃったのよぉ! お願い、この願い、叶えてよ!」
アイカはそう言うと、古森を突き飛ばし、うずくまって泣き始めた。
その瞬間、ひびきと文子が「がじぇっと」に飛び込んできた。
「別に言いですけど……。その願い……『警察に捕まりたくない』という願いを持った人の願いを叶えたことはありましたが……。その方々、行方不明になっちゃっているんですよねえ……。もしかしたら、死んでいるかも。もし、そうなってもいいなら、別に構いませんが」
古森は立ち上がりながら、推理小説の探偵のごとく淡々と告げる。
ひびきは凶悪犯二人組に連れ去られた時のを思い出し、吐き気を催した。
アイカは顔面蒼白で、
「あ……あ……」
言葉がまったく出ない。
また扉が開く。その場の全員が扉を見と、そこには警察手帳をもった人たちが立っていた。
☆
「一体、どうして、何が起きたの?」
ひびきの顔には疑問符が浮かんでいた。文子はカウンター席に座ると、ひびきの目を見つめ、
「ひびきちゃん。わたしの最初の願い事って何だと思う?」
と聞いてみた。
「え、分からないわ。なんなの?」
ひびきは首を傾げる。
文子はコホンと咳をすると、
「古森さんは知っているはずだけど、鈴村の最初の願いは『クラス全員を自分の言うとおりにしたい』だったの。もちろん、古森さんの力は本物。鈴村の願いは叶った。で、鈴村がある子に命令したの。雑貨屋さんでシュシュを盗めって」
アハハと文子は乾いた笑いをする。ひびきの顔は血の気がなくなっていた。
「その子は本当に鈴村の言うことを聞いちゃって、万引きをして捕まったの。もちろん、鈴村にやれって言われたって弁解した。でも、大人はそんなの聞いちゃいないもの。でね、そのやりとりの直前にちょっと聞いちゃったんだ。がじぇっとのバイトの不思議な力で、願いを叶えてもらったって話をね」
文子は大きく背伸びをする。そして、
「あ、篠座のおんちゃん。オレンジジュース、一つちょうだい」
と注文した。
マスターはわかったよ、と笑みを浮かばせ、奥の台所へと消えていった。
「んでね、どうせなら、わたしも叶えてもらおうかなって、ここに来たわけ。あのときは古森さんしかいなかったから、ひびきは知らないと思うけど」
「えっ」
ひびきは目を丸くして古森を見た。
「でね、わたしが最初に叶えてもらったのは……『わたしの心はわたしの自身のもの。だからわたしはわたしであり続けたい』だったの」
「ふみちゃん。はい、オレンジジュース」
マスターは文子の前にグラスを置く。
「おんちゃん、ありがとう」
文子はオレンジジュースを口に含む。
「で、どこまで話したっけ」
文子はひびきの顔を見て笑う。
「最初の願い……。『わたしはわたしであり続けたい』までよ、ふみちゃん」
「あーそうだったそうだった。そう。そう願ったの。その結果、わたしはわたしのままでいられた。それどころか、悪いことは暴くべきだって気がついたの。でもね、あいつには口止めをされていた。だったら、どうするか悩んだ。で、二つ目の願いをきめたの。『鈴村の不正を暴かれますように』って。こうすれば、わたしが告げ口しなくても、どこからか漏れるって気がついたのよ。見事な他力本願だとは思うけどね」
文子ははにかむ。
「本当に願ったり叶ったりだよ! 古森さん! ありがとう!」
文子は古森の両手を握ると、上下に振った。その目には涙が浮かんでいた。
「最後の願いが残っているけど、どうしますか?」
古森は文子に尋ねる。文子はハンカチで目元をあてつつ、こう答えた。
「いつか、もっと素敵な願いが出来たら、そのとき叶えてよ」