爽やかな日差しの中、あたしは風を切りながら深い森を越えようと、愛用のホバーボードで宙を駆けていた。
若干、暑く汗ばんできたので、川の上を滑るように飛ぶことにした。水しぶきが冷たい風と共に足にあたり、とても涼しい。
気分がとても良いので、思わず懐かしい歌を口ずさむ。
「サザンクロス。その歌はわかれうただぞ」
「いいじゃあないのさ。これだけ天気なんだもの。どんな歌を歌ったって、お天道様はきっと許してくれるわ。それに姉さん」
「なんだ」
「この歌、この前のサーカスでも歌われていたでしょ。あのキレイなレイヤの声を思い出したら、どうしても歌いたくなるのよ」
あたしは首につけた星のチョーカーを軽く触る。
「触るな、くすぐったい」
若干不機嫌な口調の姉さんだったので触るのをやめ、再び歌い始めた。そして、心地よい春風と共に空を飛んだ。
森を抜け、あたしたちは街に着いた。繁華街を歩く。街といっても、ハイセンスな建物はあまり多くなく、素朴な印象の建物が並んでいた。姉さんが言うには、古代遺跡がこの街近辺に点在しているらしい。だからだろうか、学者のような人々が往来している。ま、そんな感じで程よく活気がある街だ。
あたしは空腹を満たすために食堂に入った。いくら移動手段が機関(からくり)仕掛けとはいえ、半日ずっとバランスを取りながらの移動だったため、足がパンパンで痛い。今は昼餉には遅く、夕餉にはまだ早かったためか、空いていた。案内された席に勢いよく座る。
「お嬢ちゃん、身軽で楽しい一人旅かい? 珍しい装束してるね。それにここらじゃああまり見られないようなキレイで長い緑の黒髪をしているよ」
案内してくれた長身で厳つい印象のウエイターがメニューを見せながら、笑う。
「褒めてくれたのはありがたいけど、あいにく、お嬢さんっていう年齢じゃあなくてよ。成人しているわ。それに、楽しい一人旅ではないのよ。弟を捜しているの。それに姉さんがいる、ね?」
あたしはすこし顔をもたげ、首につけた星の飾りがついたチョーカーに触れる。
姉さんは反応しない。まあ、ここで話しても、完全にあたしの自作自演……というか、腹話術扱いされるのがオチ。懸命だわね。
ウエイターの顔を見ると、ハトが豆鉄砲食らったような顔をしていた。
「あ、いや別に」
あたしはメニューを受け取ると、
「ま、そういうことで、あたしはお嬢ちゃんじゃあないので、お金はある程度あるから、美味しいものを食べさせなさいよ」
と言って、いくつか注文した。
注文を終え、料理がくるのを待っていると、勢いよく……というより、乱暴に木で出来た食堂の扉が開いた。
「ここに旅人が来てるって聞くが、どいつだ?」
入ってきたのは、さっきのウエイターよりも背が高く、もりもり筋肉がついている、屈強という言葉が似合う男三人組だった。三人とも、どこで作られているのか分からないトゲのついた服を着ている。
あたしは強面にびっくりした。一瞬隠れようかな、と思っていたけど、ここはナチュラルにいた方がいいかしらと思い、なるべく目線を合わせないよう、顔を窓に向ける。
しかし、すぐに人の行動というのはバレるようで、
「おい、そこの姉ちゃん。お前が今日来た旅人だろ? ちょっと話を聞いてくれねえか?」
こう話しかけてきた長いパツキンの厳つい男は何の躊躇なしにあたしの座っているテーブル席の向かい側に座った。
「おごってくれたらな」
男の返答を姉さんがしてくれた。でも、普通、星のかざりがついたチョーカーが話すはずがない。姉さんの存在を知らない人だと、完全にあたしが話しているとしか見えない。
「分かったよ。おごるから、俺たちに協力しろ」
つるつる頭の男はあたしを思い切り睨み付ける。
「最初にどんな用件か話せ。でないと、それに釣り合うか分からんからな」
ちょっと、姉さん? 勝手に話を進めないで? あたしは挑発的な姉さんの言葉に動揺しながらも、冷静をなんとか保つ。
「ちょっと、おい。何を言って」
ガムを噛む続けている三番目の男はあたしを挑発するが、
「たしかにそうだ。この物騒な世の中、女だったら警戒するよな。さすが一人旅しているだけある。わかった。最初に用件を伝えようじゃあないか」
長い金髪の男はガムを噛む男を静止させ、
「倒れた俺の弟を治してほしい」
真剣な目でそう続けた。
「は? どういうこと? 病気の弟を治してくれ? 何を言っているの?」
あたしは運ばれてきた料理を飲み込み、良く訳の分からない申し出にびっくりしていた。
「俺の弟はここの市長なんだ。ある日、やってきた旅人が弟とサシで会ってから、病気になってな。もしかしたら病気を持ち込んだのではないか、もしくは毒を盛ったのではないか、と考えているんだ。そこで、あちこち回っている旅人のお前さんなら、なにか病気、もしくは毒について知っているのではないか、もしかしたら、治す薬でも持っているのではないか、と思ってな。お願いだ。どんな情報でもいい。教えてくれ」
人は見かけによらないっていうけど、こんなに恐ろしい顔の男の弟が市長だなんてちょっと驚く。嘘をつかれている可能性があるけど、食堂にいるメンツの様子を見ると、ややうやうやしく見えるので、どうやら本当のようだ。やはり、見た目で人を判断してはいけないものだわね。
まあ、それはともかく。
「確かにあたしは旅人よ。でも、医療従事者(メディック)の資格なんて持っていないわ。だから、お役に立てないと思うけど?」
厄介なことには関わらないのが一番だ。あたしはここの食事代の二倍を払って良いから、こいつら全員目の前から消したい。
兄が弟の病気が心配なのは分かる。確かにあたしも弟を探しているけど、それとこれとは別だ。
しかし、そうも問屋は下ろさないようで、
「病気のウワサだけでも情報が欲しい。とにかく俺の弟の病状を診てくれ」
と悲痛な顔で懇願された。
話がだんだんずれていっているけど、どうも断れない性分のあたしは、ただ頷くしかできない。
「さすがお人好しだな。相変わらず」
姉さんは呆れた声で小さく呟いた。
通されたのは、平屋が多い街並みのなかではかなり目立つ高いビルディングの最上階だった。市長の兄曰く、この街で一番高いビルディングだそうだ。
上まで歩くのはしんどいなあと考えていたのだが、エレベーターという機械仕掛けの箱に案内され、それで最上階まで一気に上がった。
「わ、これ凄いよ、姉さん。こんな機関(からくり)があるのね。あたしのこれの応用かしら?」
あたしは抱えているホバーボードをキツく握りしめる。姉さんは反応しない。まさか、寝ているのかしら?
「どこに姉さんなんているんだ?」
市長の弟は豪快に笑う。完全な独り言しか見えなかった自分の行動にあたしは顔が熱くなる。
軽いビープ音が鳴った。エレベーターのドアが開く。
「着いたぞ。さあ、お願いだ。弟を助けてくれ」
それからしばらく歩いて、案内されたのは言葉通り絢爛豪華な部屋だった。どれぐらい立派かというと、まずただの寝室なのに百人入っても大丈夫ぐらい広い。まあ、これは言い過ぎかもしれないけど。でも、置いてある家具は重厚。ベッドは一人で寝るにしては大きいすぎるほど大きい。掛け布団は羽毛のようでふかふか。そしてそのベッド周りを何人ものメイド、執事、そして医者がベッドを取り囲んでも、十分にスペースがあった。
「ああ。お帰りなさいませ」
執事やメイドたちは頭を下げる。
「ああ。十二人目の旅人を連れてきた。これでこいつの病気が治ることを祈るばかりだな」
は? そんなに旅人を連れてきていたの? その人数に驚く。そこまで騒ぐことかしら? 市長だから? ただ純粋に弟が心配しているだけ? 大騒ぎする理由が全く見当がつかない。あたしは首を捻る。
「私もお前が病気になったら、心配するし、どうにか治らないか走り回るさ。そういうものだぞ」
姉さんは小さく話す。うれしいけど、その姿でどう走るか見物だ。
「それに私は医療従事者(メディック)のライセンスを持っているから、診るぐらいなら出来ると思う。触診はまかせた」
は……はあ。確かに姉さんは頭がいいから、こんな姿になる前には資格を取っていてもおかしくはないけど……。触診は任せたって。いくら成人をしたとはいえ、乙女のあたしに何をさせようとするんだ。そして、原因が分かったとしても、今の姉さんではどうしようもないのに。
もしかして、薬探しに行けとか?
あああ、自分のお人好しが嫌になる。
話がそれた。
「えっと。とりあえず自己紹介をしてくれないかしら? あたしはあなたが市長の兄ということしか分からないんだけど」
あたしの言葉に、市長の兄は、頭を掻き、
「申し訳ない。俺はバリツ。で、弟で寝込んでいるこの街の市長はジュドー。お前さんは?」
「あたしはサザンクロス=クロウエア。コレ全部で名前なの。長いでしょ。クロスでいいわ」
「そうか。よろしくな、クロス」
市長の兄、バリツは手を差し出す。あたしはその手に握手をする。
「んじゃあ、状態だけ見せて貰うわ。で、あたしたちで解決出来そうなら、協力してあげる。病気を治すために滞在するご飯代、宿代を払って頂戴ね。解決にかかったお金と報酬は成功したらでいいわ」
あたしはそう言って、ベッドを覗き込んだ。
「こんにちは」
蚊のような声で挨拶をしてくれたのは華奢な青年だった。顔色は明らかに悪い。栄養がないのか、パサついた茶髪をしていた。でも熱っぽさとかそういうのは見られない。ま、素人目では危険だけどさ。実際、具合が悪そうだし。
「ん……。一見何も悪そうなところなど見当たらないな。呪いの類いもかかっていない。なんだ、コレ?」
姉さんは小さく呟く。
ぱっと見だけで、判断しちゃマズいんじゃないかな、と思うのだけど、現在有機体が存在しない姉さんが触診したり聴診器を持てるはずがない。そればかりは仕方がない。あたしが触診しろ、とか言っていたけど、それはどうやらジョークだったようだ。しゃれにならないよ、姉さん。
「私たちだけにしてくれないか。市長の口から病状について聞きたい」
姉さんは勝手に話し始める。だから、何も知らない人にはあたしがしゃべっているようにしか見えないって!
「それは無理だ。弟とお前たちだけにはさせられない。そもそも旅人と弟が二人きりになったのがはじまりだからな」
「だったら、お前は残れ」
バリツの言葉に姉さんはキツい口調で返す。
「分かったよ。みんな下がっててくれ」
バリツの命令であたしたちは四人になった。
「なあ、ジュドーと言ったか。会った旅人というのはどんな人物だったのか? できれば出身地もしくはどこから来たのかを知りたい。それが分からないと流行病とかの分析ができぬ」
「姉さん、勝手に話を進めないでよ!」
勝手に話を進める姉さんにあたしは姉さんに触れる。
「さっきから姉さんとか言っているが、幽霊でもいるのか?」
不思議な顔をするバリツに、あたしはもう隠し事が出来ないと思って、
「あのね、あたしの首の星の飾りのついたチョーカー、あるでしょ? 彼女が姉さんなんだ」
「は?」
バリツは目が点になっていた。ベッドのジュドーも目が点になっている。
「どうも。サザンクロスの姉だ。よろしく」
「え? 腹話術……じゃなくって?」
バリツの声は裏返る。
「そうだ。私はここにいる。そして私は市長にどこの誰に会ったんだと尋ねている」
姉さんは語尾を強くした。
「言わないと、ダメですか?」
市長のジュドーは震えた声で返事をする。
「ああ、絶対に言え。でないと、死んでも原因は分からん。解剖したって分からないだろう」
「ちょっと、姉さん! 口調が怖いわ」
あたしはとんでもないことを言い出す姉さんを強く触れる。
「いえ……そんな。それはプライベートなので……」
「何がプライベートなんだ。市長として会ったのだろう。それは公務ではないのか?」
ああ言えばこう言うというのはこのような会話のことなのだろう。姉さんはジュドーの言葉を跳ね返す。
「分かりました。言います。サーカス団の人です。あまりに感激したので」
ジュドーはあたしの目を強く見ながら、静かに話し出した。
「もしかして、レイヤがいたサーカス団かしら? あたしたちより先にこの街に来る予定って言っていたもの」
あたしは仲良くなった歌姫の名前を挙げる。すると、ジュドーの顔に動揺が見えた。息が荒い。
「どうした、ジュドー? 具合でも悪いのか? 先生に今診てもらおうか」
バリツはジュドーの両肩を抱く。
「バリツ、それは大丈夫だ」
姉さんは明るい声で、バリツを止める。
「ああ、原因が分かったよ。そういうことか、ジュドー。この私とサザンクロスがお前を治してやる。ただし、その病と闘うのはお前自身だからな」
もっと明るい声で姉さんはそう宣言すると、
「サザンクロス。サーカス団を追いかけるぞ」
と、あたしに命令した。
「は?」
素っ頓狂な声を出すあたしに、
「さっさと出る! 遠くならないうちに!」
姉さんはせかした。
「ねえ、クロスちゃんにお姉さん。確かにわたしはここの市長さんとお話ししたわ。でも、歌とかサーカスについて話しただけで、そんな毒薬とか盛っていないし、病気とかうつしていないわよ」
あれから三日後、件の街のセントラル駅で列車から降りた灰色のエキゾチックな目が印象的の歌姫レイヤはやや不機嫌そうに一緒に降りたあたしの顔を見る。
「それは分かっている。だが、向こうはお前に用があるんだ。お願いだ、付き合ってやってくれ」
姉さんは申し訳なさそうな声でレイヤに頼む。
「分かったわよ。でも出番に穴を開けた分はどうかしてくれるのかしら?」
「市長に請求すれば? こっちはあなたのサーカス団を探すのに、二日間寝ずにホバーボードを吹かしたんだから」
キレイな亜麻色の髪を掻き上げるレイヤにあたしはやや棒読みで返す。レイヤは明るく笑うと、
「そうよね。交通費込み込みで請求することにするわ」
市長のビルディングに向けて歩き始めた。
レイヤを見たジュドー市長は大きな声で泣き始めた。何事が起きているのか、分からなかったのだけど、姉さんは、
「さ、お膳立てはしてやったんだ。言いたいことをレイヤに話せ」
と楽しげに笑う。
「ええ。わかりました」
ジュドーは起き上がると、ベッドから降り、パジャマを整えた。そして、
「まさか、来てくれるとは思いませんでした。ありがとうございます。僕はあなたにどうしても言わなくてはいけないことがあります」
ジュドーはそう言うと、頭を深々と下げ、
「僕はあなたのことが好きです。付き合ってください」
と言って、顔を上げた。
レイヤはキョトンとした顔をして、それから、納得の顔をして、
「ああ、そういうことね。なるほど」
と頷く。
「ね、姉さん、これってどういうこと?」
あたしは姉さんに触れる。
「ジュドー市長の病気は病気でも恋患い……レイヤに片想いしていたんだよ」
「なんですって?」
「なんだって?」
あたしとバリツは声が裏返るほど驚く。
「そんなことってあるの? まさか恋患いでここまで憔悴しきるの?」
あまりの驚きに声が裏返ったままのあたしに、
「サザンクロスもまだまだお子様だな。私も若い頃は結構色々したものだぞ」
姉さんはしみじみと言う。あたしと姉さんってそこまで年は離れていないはずなのに、偉そうに!
レイヤは軽く頭を下げると、
「ごめんなさい。わたしは誰とも付き合うつもりはないし、今は仕事が楽しいから付き合えないの」
顔を上げ、軽く微笑んだ。
また大きな声で泣き出すかな、とドキドキしていたのだけど、、
「ああ、言いたいことが言えて良かったです。レイヤさん、ありがとうございました。クロスさんにクロスさんのお姉さんもありがとうございました」
すっきりした笑顔をしていた。
レイヤを駅で見送ったあと、あたしたちはホテルに戻り、貰った報酬を数えていた。
「あの家って結構ブルジョアなんだな。私たちの半年分の生活費なんて、ぽんって普通は出せないぞ」
「そうよねえ。ホバーボードの整備とかエネルギーを入れるのに結構お金掛かるからねえ」
あたしは報酬を袋に戻し、カバンに入れる。そして、ホバーボードに油を差す。
「もう少し、ここにいようかしら。お金も入ったし、それに姉さんの言ってた古代遺跡が気になるからさ」
気軽に笑うあたしに、
「観光気分だな」
姉さんは脱力した声で答えた。
ってなわけで、ラストの古代遺跡を見終わった。
近辺と言っても、一個一個が街から結構離れていた。つまり一カ所に行くのに一日がかりなのだ。すべて回り切るのに一ヶ月弱かかった。
あと、分かったのは、古代遺跡というのは、観光地ではないということだった。発掘されていなかったら、ただの野っ原でしかないぞ、と姉さんに笑われてしまった。事実そうだったのがなんともくやしい。
死んだ弟を捜す旅を再開するために、ホテルをチェックアウトしていると、凄い勢いであたしの肩に衝撃を受けた。
振り返ると、バリツ・ジュドー兄弟が息を荒げている。その割には表情は柔らかい。
「あら。貰うモノは貰っているわよ?」
あたしは二人が何故そこにいるのか尋ねる。
「お礼を言いに来たんです」
ジュドーはそう言って、封筒を見せる。宛先はジュドー宛て。
「お礼? だから貰うモノは貰ったって」
あたしは首を捻る。
「レイヤさんから手紙が来たんです! だから僕とレイヤさんをつないでくれたクロスさんたちにお礼を言わなきゃいけないと思ったのです!」
「ラブレターじゃあないけどな。でも手紙を貰うって、うれしいものだしな」
元気を取り戻したジュドーを見て、バリツもなんだか上機嫌だ。
「そういうことか。良かったな。なんか安心したぞ」
「あたしも安心したわ。まさか人の仲を取り持つことになるって思わなかったよ」
姉さんはご機嫌に笑う。こういうことが苦手なあたしは照れくさくって、顔が熱くなった。