第六柱「思春期オバサン」

ここは純喫茶「がじぇっと」。喫茶店特有の落ち着いた雰囲気のおかげで、繁盛までは行かなくても、それなりにお客が入っていた。
カウンター席では、ややグラマーでそれなりの顔をしてはいるものの、とうに結婚適齢期を過ぎた女性がいた。彼女は夢心地な様子で、テーブル席に座っている男性を眺めていた。鼻が高く、目は大きく、まつげは長く、スラリとした体型の男性で、レベルはかなり高い容姿の持ち主だった。
本を黙々と読んでいる彼を見て、
「私はこんなにかわいいけど……でも……あんな素敵な人に私話しかけられないわ……」
女性はそう言うと、年甲斐もなく黄色い声を張り上げ、机をバンバンと叩いた。
「でも、私は美人なのよ、美しいのよ。彼ときっと釣り合うわ、そうに違いないわ、そうよ。絶対にそうよ」
女性は両手をパシンと勢いよく叩いて叫ぶ。しかし、その後気の弱そうな声を出して、
「でも……でも……でも……そんな勇気、私にはないわあ」
と言ってうなだれた。
女性は、あっと叫ぶと、
「ねえ、マスター? あの奥の男性の電話番号とか……住所とか知らないかなあ?」
と彼女の目の前でコーヒーカップを磨いていたマスターに訊く。
「すみませんね。存じませんよ。知っていたとしても、教えられませんよ。最近プライバシーとかうるさいですからね」
マスターは素っ気ない感じで答えた。
「そっかあ……そうよねえ……うん……付き合いたいけど……自分から話しかけるのは……怖いし……あっちから話しかけてくれればうれしいんだけどなあ」
「へえ。お客様、あちらの男性とお話ししたいんですか?」
真っ黒な癖毛に金の目を持つ一見少年の古森がニコニコしながら女性に話しかける。
「な……なによ……急に話しかけてきて。気持ち悪いアルバイトね。なんのよう?」
古森は頬を掻きながら、
「気持ち悪いって失礼だなあ。まあいいや。あなたは、あの男性とお話ししたいというのは願いですか、とお聞きしているのですけど」
と、落ち着いた様子で女性にもう一度聞き直した。
「古森くんもがんばっているねえ。懲りないと言った方が良いか」
こう言うとマスターは軽くため息をつく。
「えぇ、ボクはみんなが幸せになるために頑張っているんです。多少のことでは懲りませんよ」
とマスターに向かって言うと、次は女性の方に向かって、
「ボクは、一人につき三つの願い事を叶えることが出来ます。もし、あなたがその……あの男性とお話ししたいという願いがあるのならば、ボクが叶えることが出来ますよ。いかがなさいますか?」
と微笑む。女性は、引きつった表情で、こう言った。
「物は試しね……どうなるか分からないから、お金は払わないわよ」
「えぇ、構いません。ボクは願いが叶って幸せになった人々の笑顔が見たいだけなんですから」
古森はこう言うと、パチンと指をはじいた。
マスターはため息をもう一度つくと、
「古森くん……もう、まったく……気が済んだなら、奥にあいたカップ下げて」
「分かりました、マスター」
いつになく上機嫌の古森は鼻歌交じりに、お盆を持って奥へと消えた。
「ふん……あのクソガキ……あたしをからかうなんてひどいじゃあないの。まあ、お金取られなかっただけマシね」
女性はそう呟くと、冷めたコーヒーを一気に飲み干した。
すると、
「あの……お隣いいですか?」
と、先刻まで本を読んでいた男性が話しかけてきた。
女性は、舞い上がった。まさか! と思ったが、本当にそのまさかが起こったのだ。
「ええ……いいですわ……」
女性はあくまで冷静に答えた。しかし、内面では花吹雪が起きていた。
女性と件の男性は、コーヒーのおかわりをし、それから一時間会話を続けた。そして女性はとうとう欲しかった男性の連絡先を手に入れたのだった。
「がじぇっと」の帰り道、女性はガッツポーズをした。そして、頬を叩き、
「これは夢じゃないわよね! 夢じゃないわ! だって痛いもの!」
と叫んだ。

それから三日間、女性と男性は連絡を密に取り合った。男性は女性より十も若かったが、とても知的、高学歴で一流企業に勤めていたため、ああ、やっぱり私と釣り合う男性だったのだわ、と女性は思った。

再び「がじぇっと」に会社帰りの女性が現れたかと思うと、ギターをチューニングしている古森を見るなり、すがりつき、
「ねえ、もう二つ願い事、叶えられるわよね?」
古森は少々顔を引きつった様子で、ギターを置くと、
「え……えぇ……そうですが」
と答えた。
「んじゃあ、あの人と付き合わせて! ねえ! 恋人同士になりたいの! あの人と! できる? ねえ!」
古森は、やっとの思いで女性から離れると、
「それがあなたの叶えたいことだというのなら叶えますよ」
と微笑んで、指をはじいた。
それからまもなく、男性が「がじぇっと」に入ってきた。そして、女性に対してくさいほど素敵な台詞を捲し立てるよう、かつ情熱的に語った。そして、女性がどれだけ素晴らしく、美しい女性かを一通り話した後、
「俺と付き合ってくれませんか?」
と赤い薔薇を取り出し、女性に差し出した。
もちろん、彼女は
「えぇ、喜んで」
と薔薇を受け取った。
周りにポツポツといた他のお客は、その様子を見て、彼女らに途切れ途切れに拍手を送った。
「何が起こったかと思ったら、お芝居の練習?」
古森は隣を見ると、学校帰りで白いセーラー服姿であるひびきがあきれた顔で突っ立っていた。
「ああっ、ひびき。いつの間に帰ってたの?」
「この様子じゃあ……あんた、また力を使ったの? もういい加減にしたら?」
驚いた様子の古森に、不機嫌そうな顔でひびきは言う。
古森は、
「んーまあ、ボクとしては、このまま最後の願いを使わないことを願うだけだよ」
と静かに呟いた。

女性は、ほぼ毎日彼氏と会って、食事をした。女性としては、うれしい限りだったのだが、楽しいと思ったのは、最初の数日だけで、だんだんどこかさみしいと思うようになった。

一週間程経った日曜日の朝のこと。
ひびきが「がじぇっと」のテーブル席で数学の計算に頭を悩ませていると、すんすんと泣いている女性が入ってきた。
「古森君、いる?」
女性はそう言って、カウンター席に座った。そして、ハンカチで目元をおさえる。
「いや……奴はまだ来てないけど……でも、もうあいつの力を借りちゃだめです! きっと身を滅ぼすわ!」
ひびきはペンを置き、後ろに座って泣いている女性を見る。
「本当に、最後の願いを使いたいんですね? わかりました」
気がつくと古森がひびきの隣に立っていた。ひびきは非常に驚いて、椅子から転げおちる。
「そこまで驚かなくっていいのに」
古森は転げ落ちたひびきの手を取って、彼女を立たせると、キッと女性の方を見て、
「では、お尋ねします。あなたの最後の願いは何ですか?」
と訊いた。
「あの人の気持ちが分からないの! 私はあの人のことを愛しているわ! でもあの人も私のことを愛しているか分からないのよ! ねえ、あの人の本当の気持ちを知りたいの!」
女性は一息でここまで言うと、わあああっと泣き出した。
ひびきは、泣きじゃくる女性にティッシュを箱ごと渡した。女性は、ティッシュを何枚か取り出すと、涙を拭いて、鼻をかんだ。
「あたしは、本当にやめておいた方がいいと思うけど……」
ひびきは、気の毒そうな目で女性を見る。一頻り泣いた女性は、落ち着いた声で、
「いいの。いいの。あの人の本当の気持ちさえ……ねえ、古森君、叶えてよ」
と言った。
「では、叶えますね」
古森は指を鳴らした。

午後。
女性はきれいな化粧にお洒落な服装を来た女性は、明るい気持ちでデートの待ち合わせ場所である時計台の前で待っていた。
しかし、時間になっても男性は来ない。
それから三十分後。
「あっ。こんなところにいたのか!」
男性は女性を見るなり、こう言って、女性の頬をひっぱたいた。
「えっ」
女性は一瞬、何が起こったか分からなかった。しかし、頬の痛みから、殴られたことが分かると、
「どうして、殴るの…?」
と男性に弱々しく訊いた。
男性は小馬鹿にしたように笑うと、
「ったりめーだろ。待ち合わせ場所間違いやがって。どんくさいな、ババア!」
と女性を嘲笑った。
「え……嘘でしょ……私に対する気持ちって……」
女性は、青ざめる。
男はあざ笑いながら、
「ああ、この際だから言うぜ。あんたはただの金づるさ。年上の女性引っかけて、金使わせて、金がなくなったら、クシャポイさ」
男の冷たい言葉に女性は顔から血の気が全くなくなった。その様子を見た男性は、
「……あれ、なんで俺……こんなこと言っちゃったんだ? 嘘だからね! あはは、ウソウソ! ウソだから! あははははははは……」
と言って、顔を引きつらせた。
女性は男性の頬にビンタすると、そのまま走って、どこか去って行った。
男性は一人残された。

「ねえ、あたしたちってかなり趣味が悪くない? 後をつけてさ。流石に後味悪いわよ」
古森とひびきは時計台からさほど遠くないが、死角になるベンチで、事の顛末を見ていた。
「だって、ボクの力でみんなが幸せになったかを知りたいんだよ。まあ、結局、結果は彼女の思い通りでなくて、残念だったけど」
こう言う古森に、ひびきは食いつく。
「残念どころじゃないわ。最悪の結果じゃない!」
「最悪か……。一見そうかもしれないけど、早いうちに男性の本当の気持ちが分かって、女性は良かったんじゃないの?」
「へ?」
古森の言葉に、ひびきは拍子抜けする。
「だってさ、何もかも失う前に相手の正体が分かったんだよ。確かに、彼女は今日彼氏を失った。でも、逆に考えると、捨てられる前に捨てたんだ。このことを通して、あの女性が、本当に自分のことを愛してくれる身の丈に合った男性と付き合えるといいよね」