第二柱「出会い」

四月も中旬になって、暖かさが増してきた頃のこと。
ここは喫茶「がじぇっと」の店の中には、客ははおろか、マスターまでいなかった。それにも関わらず、セーラー服の少女――篠座ひびきは一人コーヒーを飲んでいた。茶髪のポニーテールが印象的である。

カラカラと「がじぇっと」の扉が開いた。入ってきたのはひびきのクラスメイト、泉川チハヤだった。ひびきとちがって、スレンダーな体つきで長い黒髪がとても美しい。
「あら、泉川さん。どうしたの、一体?」
とひびきは振り向き、声をかける。
泉川は、少し挙動不審で、キョロキョロ店を見回す。
「ねえ、どうしたの。今、店には誰もいないわよ。あなたとあたし以外はね」
ひびきは泉川の様子に少しイライラしながら話しかける。
泉川は、
「だからといって、コーヒー飲んでいいのです……? てっきり誰かがいるからコーヒーを飲んでいるかと思いました」
ほっとした様子でこう言うとひびきの隣に座った。
「コーヒー飲む? 叔父さんが淹れてくれたの少し残っているわよ」
そう言って、ひびきはカップに残ったコーヒーを一気に流し込む。
「いや……いいです。いやね、ちょっと……聞きたいことがあるのですよ」
泉川はそう言って、少しうつむくと、ひびきの方を見て、こう尋ねた。
「篠座さんには不思議な力……いわゆる霊能力的ななにかあるって伺ったのですが……本当ですか?」
その言葉に、ひびきは頭を掻いて、
「ん……あるにはあるけど……。出来ることと出来ないことの差は、天と地ほどに離れているわよ」
「そうですか……」
ひびきのことばに、泉川は再びうつむく。そして、勢いよく顔を上げ、ひびきの手を握ると、
「わたくしのお母様を救って頂けませんか?」
「はあ?」
ひびきは素っ頓狂な声を上げた。

泉川の話をまとめると、泉川の家はこの街では、割と大きな会社だという。「まあ、中小企業なのだけれど」と泉川は付け足したが、実際ひびきも聞いたことのある会社だった。
数ヶ月前まで、その会社の経営が危なかったらしい。そこで、彼女の母親は新聞沙汰になるのだけは避けたいと、なんと神頼みをした。
泉川の母親の地元にある神社の神様――市は同じだが――その神様は願い事を何でも叶えてくれるという噂を聞いた泉川の母親はそこで願掛けをした。経営が良くなりますように、と。
その後、実際に経営がうまくいくようになったらしい。しかし、数日前、泉川の母親は倒れた。原因不明。ただいま入院中。

「もしかしたら、その神様が悪いことをしているんじゃないかなあって思うんですよ……」
ひびきは、頬を掻いて、
「あんねえ……。神社で願掛けをするものじゃないわよ。ああいうのは、望みの結果になるように頑張るので、神様見守っててください、っていうものよ。簡単に願いを叶える神様なんて、低俗にも程があるわ。っていうか、そもそも胡散臭いわよ、そんな神様がいるってそのものが」
ひびきの言葉に泉川は黙り込んでしまった。
そんな彼女の姿をみたひびきは、あわててフォローに入る。
「でも、地元にそんな神がいるなんて、気になるわね。うん、分かった。ちょっと調べてくるわ。ただし、有料よ。成功報酬でいいから」
「え……お金、とるの……?」
戸惑いを隠せない泉川にひびきはきっぱり
「こーゆーのははっきり言って、命がけなのよ。あたしもあなたの母親のようにぶっ倒れて、危篤になったら、面倒見てくれる?」
と言いきった。泉川の顔が真っ青になっていく。ひびきはこう続けた。
「あ、あと。成功報酬なのは、あなたがあたしのクラスメイトだからよ。本当はもっと高いんだからね」
その言葉に泉川はコクリと頷くと、
「……分かりました。お願いします」
と頭を下げた。

十分弱後。
ひびきは「がじぇっと」からシティバイクで件の神社にいた。境内はボロボロで、草は生え放題。まったく手入れされていないのが誰の目を見ても明らかであった。
「よくこんなところの神社の神様を詣ったわねえ……ある種そんな勇気で、経営とかどうにか出来ないのかしら。経営なんてわかんないけどさ」
ひびきはそう言いながら、荒れ放題の境内をザクザクと歩く。
そして、ひびきは朽ちかけている本殿の前まで行くと、その本殿がガタガタと物音がした。ひびきは身構える。
本殿の障子が開いた。
出てきたのは、甚平を着たひびきとそう年齢が変わらないぐらいの少年だった。少年は黒いボサボサの髪に、金の瞳を持っている。
「キミ、誰?」
「あんた、誰?」
少年とひびきの声が見事に重なる。ひびきは、咳払いすると、
「あんた、ここで何やっているのよ」
と訝しげに訊いた。
「そっちがボクを起こしに来たんでしょ。そっちが話すべきじゃないの?」
こう言って、少年は眠そうな目をこすりながら、大きく口を開け、欠伸をする。
ひびきの頭には、ああ言えばこう言うという言葉が駆け巡った。うるさい奴ね、とひびきは思ったが、あっちの言い分を聞いておこうと
「あたしは、篠座ひびき。あんた、誰よ」
と自己紹介した。
少年はひびきの名前を聞いて、少し驚いたそぶりをした。それからひびきの顔をまじまじと見る。そして、驚きと何故か照れくさそうな表情をして、
「ん? ボクはここの神社にいるだけなんだけど」
と言った。
「えっ? じゃあ、あなたが何でもどんな願い事でも叶えてくれる神様ってワケ? あたしにはただのヒキコモリにしか見えないわよ」
「失礼な! キミも相も変わらずだなあ。ってあれ? ボクのこと普通に見えているの? ええっ!」
ひびきの言うことに少年は驚いた様子で両手で頬を触り、そして全身触る。
「えぇ、バッチリ見えているわよ。普通にね。本当に神様なの?」
ひびきの言葉に少年はショックを受けているようだったが、諦めたらしく、もう一回欠伸をすると、少し考え込んでから、こう言った。
「あーそういうことになっているのか。うーん」
少年は一度首を傾げる。それから、ひびきの顔を見て、
「じゃ、そういうことにしておこうか。でもね、キミの願いは叶えられないね」
「何故?」
ひびきは願いを叶えてもらうために来たわけではないが、一応訊いてみる。
「キミほどの力を持つ人間はなんだって叶っちゃうからさ。例えば、世界を滅ぼして、なーんて願いだって叶っちゃうんだから」
「どういうこと?」
ひびきは少年の言葉に食いつく。
「んとね、ボクは直接人間の願いを叶えるわけじゃないんだ。なんていうか……人間の願うの力……いわゆる『思い』を現実世界に転換させるんだよ。キミはあまりにそういう思いが……というか、幸せを願う力が強すぎて、今のボクには扱えないんだよ」
古森の軽い口調にひびきは呆気にとられた。これが神? もうちょっと落ち着いててもいいでしょうに! とひびきは心の中で叫ぶ。しかしすぐに、
「で、泉川夫人の願いを叶えた代償で、命を持って行こうとしているワケね? 早く呪いを解かないと、消すわよ」
ひびきは本題に入った。その言葉に少年は慌て、
「いやいや! ボクは人の願いを叶えることにボク自身の存在価値を見いだしているんだよ。代償だなんてとんでもない! 欲しいのは人々の喜ぶ顔だ。なんで消されなきゃいけないんだよ」
こう反論した。しかしすぐに
「そもそも、ここ自身、知名度が低いから、こんなところに人は来ないし、暇だったから寝てたし……。その間に実体化しちゃったけど……」
と弱々しく情けない声で最後の方はほとんど声が聞こえなかった。
「はああああああ? 寝てた?」
ひびきは少年に迫る。
「キミが来るまで五年は寝てたよ……。むしろキミの気迫で起きたようなものだもの」
ひびきは頭を抱えてしまった。とてもじゃないが、少年……こと、この自称神様が嘘をついているとは到底思えないからだ。
「とりあえず、名前なんていうの? あたしだけ名乗るってフェアじゃないわ」
ひびきは話題を変えた。少年は少しアンニュイな表情で、
「名前なんてないよ。とっくの前に捨てた。まあ、ここは通称古森神社だから、フルモリさんって昔は呼ばれてたらしいけど」
「はあ」
「ここらあたりは、古くからあった森だったんだよ。だから、古森」
「ふうん……古森ねえ……」
ひびきは頷く。古森と名乗った少年は、
「でさ、キミはボクにばっかり話させるね。キミは何のようでここまで来たの? あらぬ疑いをかけられているのは薄々気がついてはいるんだけど」
と怠そうに言う。
「確かにあなたの言うことも最もね。わかったわ、話すわよ。ざっくばらんに説明すると、ここに願掛けに来た社長夫人が呪われて、ぶっ倒れた」
「は?」
古森は目が点になる。
「その様子じゃあ、まったく身に覚えがないのは確かのようね」
ひびきは少々強い口調で古森に言う。
「そら、そうだよ! このボクが身も知らない人を呪うなんて……ボクはそんなことはしない! ん? あれ?」
古森はそう言うと、周りをあちらこちら見回す。
「ん? どうしたの」
「そういや、いないなあ。彼、どうしたんだろ?」
古森は複雑そうな顔をして、一人ブツブツ話している。
「何悩んでいるのよ! なにか思い当たる節でもあるわけ?」
ひびきは、より一層キツい口調で古森に訊く。
「ああ、あるよ」
古森はキリッとした表情で、ひびきのほうをみると、そう断言した。そんな古森にひびきは聞く。
「ん、じゃあ、あんたの考えを聞こうじゃあないのさ」
「その前に当たっているかどうかわからないから、実際にその女性と会わせてよ」
そう言って古森は意味深な笑顔をたたえる。ひびきは
「本殿から出ていいの?」
と尋ねるが、古森はケラケラ笑って、
「どうせ、その方の願いを叶えた彼はその女性の元にいるんだ。多少、空けておいたって、大丈夫だし、だれも来やしないよ」
「は……はあ」
ひびきは、明るい口調の古森に少し疲れを感じた。

古森は直接会いに行こうとしたのだが、ひびきは必死に止めた。今の古森は見た目、甚平を着た小汚い少年しか見えない。こんな奴を病院に連れて行くわけにも行かないし、仮にもまして相手は社長夫人。変なのは周りが会わせてくれないと判断したひびきは、とりあえず、自身の家まで連れて行き、父の服を着せた。青いワイシャツに白いチノパンはややだぼついているが、着られないことはなかった。
髪の毛は櫛を軽く通しただけで、軽いパーマぐらいまでは整った。本人が言うには、それぐらいは神秘的な力でどうにかできるらしい。
「やろうと思えば、まともな格好できるじゃない」
「ん……まあ、ねぇ……」
古森は顔を赤らめる。
ひびきは、じとっとした目つきで
「別に褒めてないわよ」
と冷たく言った。

「あの……その方は……?」
「ああ、気にしないで。ただの知り合い知り合い」
この街で一番の大きな病院の病室の前。ひびきは泉川と落ち合った。古森が大きく口を開け欠伸をしながら、ひびきの後ろを歩いている。
ひびきは古森を指し、
「ねえ、泉川さん。彼にもお母様に会わせて頂けない? そうしたら原因がわかるかもしれないわ」
「ええ……いいですけれど……お名前は……」
泉川は髪をくるくるいじる。
ひびきは少し悩んで、
「コモリ。コモリでいいわ」
「ちょっと! ボクはそんな名……」
ひびきの言葉に古森は大きな声で訂正をしようと叫ぶが、
「ここは病院よ、大きな声を上げないで」
ひびきはこう制止する。古森は、はあと息を吐くと、そして、泉川の方を見ると、
「えっと、ボクも病室入っていいかな?」
と尋ねた。

泉川の母親の病室は、トイレとシャワー付きの豪華な広い個室だった。
奥には静かに寝ている中年女性がいて、周りには医療器具がたくさん並んでいる。脈は遅いようで、ゆっくりとした電子音が響き渡っていた。
「お医者様が言うには、家族で最後の時間を過ごして……って……母が……あんなに元気だった母が死ぬ直前だなんて……信じられなくって……」
「ん……確かに、お医者さんの言うとおり、死ぬ間際だね」
古森は軽いテンポで言い放った。
ひびきは
「ちょっと、何考えているの?」
ときつい口調で怒る。しかし、相変わらずの調子で、
「でもねえ、普通の死だったら、とっくに死神が来ているはずだからね。彼らが来ていないってことは……ただ逝くだけじゃない。下手したら、この人、悪霊になるかも」
古森の言葉に泉川の顔がますます青ざめていく。
「ねえ! コモリ! ふざけるのにも大概にして!」
ひびきは凄い剣幕で古森ににらみ返す。古森はそんなひびきを知ってか知らずか、泉川にこう提案した。
「泉川チハヤさんだっけ。あなたの母親がこうなった原因を知りたいようだけど、その願いを叶えることができるよ。どうする?」
古森の金の瞳がキラリと光る。
「え……ええ……でも、母のように私も……と思ったら……」
「ボクはそんなことしないよ。ボクはみんなの喜ぶ顔が見たいから、願いを叶えるんだ。決して自分の権威のためだけに、この力は使わないことを誓うよ」
泉川はまだ真っ青な顔だったが、キッとした表情をして、
「お願いします! コモリさん。母の倒れた原因を教えてください!」
古森はにっこりと笑うと、パチンと指をはじいた。
その途端、軽い揺れが起きた。
「何? 地震?」
ひびきはこういう揺れが苦手だったため、思わずしゃがみ込む。
「いやああああああああああああああ」
突然泉川の絶叫が病室に響き渡る。
ひびきは立ち上がり、泉川の指す方……彼女の母親の方を見た。
大蛇がいた。それは、泉川夫人をギュウギュウに締め付けている。
「ねえ、何があったか、話してくれる?」
古森は大蛇に対して静かに訊く。大蛇は古森を静かににらむ。
「ふうん。そういうことかあ」
「何が起きたって言うのですか?」
納得した様子を見せる古森に泉川はおびえた声で尋ねた。
「んー彼ねえ……せっかく会社を建て直したのに、感謝してくれないから、命を持って行っちゃおうとしているんだよ」
古森は淡々と話す。その言葉に過剰に反応した泉川は
「じ……じゃあ、コモリさん! この……この蛇を消して!」
と、泣き叫んだ。
「消して! 消せば、こいつさえ消せば、母は助かるのでしょう? 早く! 消して!」
泉川の言葉に、古森は顔を青ざめさせ、
「泉川さん。貴方にとっては必要なかったりしても、誰かにとっては必要だったりするときもあるんだよ。まずは、謝るのが先決じゃないの?」
と大泣きする泉川を諭す。
「謝る……?」
ひびきは首を傾げる。
「だって、そうでしょ。彼がいなかったら、ひびきの話じゃあ会社はつぶれていたんだし。お礼を言うのが最初じゃない? 頭だけでも下げたらどう? 意外と分かってくれるかもよ」
古森の言葉を聞いた泉川は、でも……と口ごもらせながらも、ハンカチで涙を拭くと、大きく深呼吸をして、蛇に向かって、大きく頭を下げた。
顔を上げ、蛇に近づくと、
「ごめんなさい。謝るし、お礼をするから、どうか母を殺さないで」
と涙声で言った。
大蛇は、古森に対して一睨みすると、泉川の母から離れ、、窓の外へと消えていった。

それから、一週間も経たないうちに、泉川の母親は退院した。

それから間もなく、ひびきは古森神社に再び訪れた。丁度甚平姿の古森が掃除を終えた頃だった。
「もう、もっと早く来て、ボクを手伝ってくれたっていいんじゃない?」
と古森はひびきに文句を言う。
「あんたの家でしょ、自分でどうにかしなさいよ」
ひびきはこう言うが、手に持っていた紙袋を古森の前に差し出し、
「ちょっと、お茶とお菓子持ってきたのよ。疲れたのなら、休みましょ」
と照れくさそうに言った。

ひびきは、水筒に入った熱々のお茶を紙コップにつぎ、近所で有名なお団子を広げると、
「まあ、結構いい収入が入ったからね。それにコモリに聞きたいことがあるし」
と言った。
「ねえ、キミが質問する前にさ、ちょっと。コモリはやめてくれない? ここはフルモリだったって言ったよね?」
古森は少し困った表情を作る。
「だって、五年間も引きこもっていたんでしょ。だから、コモリ。我ながらいいネーミングセンスだわ」
ひびきはそう言って、餡子ののった草団子をほおばる。古森は肩をすくめると、
「ボクももらうよ」
と言って、醤油団子を口に入れた。
草団子を食べきったひびきは、お茶を一口飲むと、
「蛇がどこ行ったか、知らない?」
古森の目を見て聞いた。古森は、ひびきに何故か視線を合わせようとせず、
「さ……さあ? 去ったって事は、もう満足したんじゃないのかな……」
明らかに何かをごまかしているそぶりをする。
ひびきは少し気になったが、まあいいか、と話を流し、
「あんさ、感謝されたくって、願いを叶えるなんて……ざらにあるの? 神とか、霊とか普通に」
と古森に尋ねた。
「人間だってそうじゃない。お礼の一言がない! って言うだけで、怒る人とかいるでしょ? はっきり言って、人間も神霊もそう変わらないよ。低俗なのはね。それはキミが一番知っているはずだよ」
古森の言葉にひびきは
「んじゃあ、あんたも低俗なわけ?」
古森はまだお団子が残った串をお皿に置くと、少し首をかしげる。そして、
「そうかもねえ……その可能性も無きにしも非ず。実体化しちゃったからね。ただボクは感謝されたくってしているわけじゃないから。あくまで人の喜ぶ感情が好きなんだ」
「それだって、身勝手なエゴじゃないの?」
ひびきは反論する。古森は一口お茶を飲んで、
「そうかもねえ……そうかもしれないねえ……」
と呟いた。

古森はひびきを横目で見、それから紙コップに入ったお茶を見る。
そして、
「『あの娘とまた会って、御前はどうするつもりなのか……』か……。それはボクも訊きたいよ」
ひびきに聞こえない声でそう呟いた。