第十三柱「芸能人は命が大事」

ここは喫茶「がじぇっと」。
癖毛に金の瞳を持った少年、古森はカウンターに肘をついて、放心していた。
「なあ、コモリ君。起きてるか?」
マスターの息子で刑事の友兼ゆたかが店の奥から出てきた。びしっとスーツに身を固めている。
「ええ……起きてますよ……」
そう言うと、古森は大きなあくびをした。
「春眠暁を覚えずっていうけど、仕事中だろ、しっかりしろよ」
「んな……お客さんが来ないんですよ。開店休業みたいなものじゃないですか……」
「親父が聞いたら怒るよ、それ」
古森とゆたかがこんなのんびりとした会話をしていると、
「こんにちはあー。取材オーケーッスか?」
と妙にテンションの高い金髪の若い男性が店の扉を開けた。
「ん……?」
突然のことで頭が混乱している二人を尻目に、
「オーケーッスね! わかりーっしゃ! スタッフさん、みんなきてぇー」
と若い男性がそう言うと、せわしなく機材を持った人々が次々と入ってきた。
「ちょ……ちょ、まてよ。この店の主人は今席を外しているんだよ。勝手な真似をするなよ」
ゆたかは入ってきた人たちの前に立つ。
「えっ。許可もらったんじゃないんですか?」
スタッフと思われる女性は、最初に入ってた男性に話しかける。彼はすでに奥の席に座っていて、のんびりと煙草を吸っていた。
「え、もらってねえの? まあいいや。いいっしょ、あんちゃん」
「よかねえ。いくら客がいないからって、店をこんな風に荒らすな」
若い男性の言葉にゆたかは反論する。一触即発で大喧嘩になりそうなピリピリした空気が漂う。
それを察したさっきの女性スタッフは頭を下げ、
「撮影はしないので、コーヒーを全員分ください。それでいいでしょうか?」
と申し訳なさそうに言った。

古森は全員分のコーヒーを配り終えると、
「はあ、こんなにたっぷり淹れたのはじめてだった……しかもお客様に出すなんて……」
と思い切り背伸びした。
大騒ぎの大本である若い男性は、二箱目の煙草の箱を開けていた。
煙草をくわえ、ライターで火をつける。そして一服するが、その途端男性は思いきり咳き込んだ。
「だ……大丈夫ですか?」
近くにいた女性スタッフは、若い男性に駆け寄る。しかし、男性はそれを振り払って
「てめえ……オレが何者かわかっているのか? 超大人気アイドルのマイトだぞ。あのジョルジュプロデュースのマイトだぞ。お前ごときが、オレを心配するのは罪なのだぞ! わかってんのか?」
「ご……ごめんなさい……」
若い男性――アイドルのマイトは女性スタッフを恫喝する。そのスタッフはすっかり怯えてしまった。
「ふうん。つまりマイトさんは、一般人に心配されたくないんですね」
「なんだ、お前……」
アイドルのマイトの前に古森が立っていた。
「いやあ、新しい灰皿をと思って来ただけですよ。面白い願いですね、それ」
古森はニコニコ笑いながら新しい灰皿を置く。
「その願い、ボクが叶えることができますけど……叶えますか?」
古森の金の瞳がキラッと光った。
「てめえ、このマイトが何者かわかっているのか? まあいい。願いか……」
マイトは煙草を一口吸って、ふうとはき出すと、
「たかが一般人がオレにかまうな、心配するな。そういう願いも叶うっていうのなら、面白い。やってみせな。ほら……ほらあ!」
マイトは古森を挑発するが、古森はまったく気にする様子もなく、右手を挙げ、指を構える。
新聞を読んでいたゆたかは、ふと顔を上げた。古森の様子に気がつくと、
「コモリ君、やめろ!」
と古森の右手を押さえる。
「あんちゃんには用がないんだ。このガキが面白いことを言っているのにつきあっているだけだよぉ!」
そう言うとマイトは下品に笑った。
「ってことですので、ゆたかさん、いいですか」
古森はゆたかの腕をふりほどくと、
「では、叶えますね」
と言って、指をはじいた。
「もう……どうなっても俺は知らねえからな」
ゆたかは溜息をついた。

敬貴高校の一年G組の教室で、刈り上げ頭の長身の少年、山崎はスポーツ新聞を読んでいた。
「山崎さんたら……なんて下品な新聞を読んでらっしゃるの?」
山崎のクラスメイトで上品そうな長い黒髪の少女が、彼に話しかける。
「ん……ああ、泉川か。あのなあ、アイドルのマイトって知ってるか?」
山崎は泉川に尋ねる。
「え……。歌手……というか、アイドルでしたっけ。歌はあまり上手ではないと思いますけど、ダンスはキレがあって素敵だったような……でも、どんな人だったっけ……」
泉川は首をかしげる。山崎は、
「最近テレビに出てこないなあって……思ってさ。でも、これにすら載ってない。なんか不思議だなあって」
「確かに不思議ですね……」
山崎と泉川は新聞に顔をつきあわせて頷いた。

「てんめえ! クソガキ!」
喫茶「がじぇっと」に、マイトが勢いよく入店してきた。鈴がせわしなく鳴る。
「お久しぶりですね、元気にしてましたか」
「お久しぶりですね、じゃねえ。てめえ、とんでんもないことしてくれたな!」
いつもと変わらない調子の古森に、マイトは怒鳴りつける。
奥で勉強をしていたひびきは、
「なんのようですか、ちょっとコモリも何をしたの?」
と二人の間に割って入る。
「ん……この人ね……一般人にかまって欲しくない、心配されたくないって願ったんだよ。だから、ボクはその願いを叶えただけ。叶ってよかったじゃないですか。一般人にかまってもらわないって」
軽い調子で古森は話す。
「なっ……一般人に相手されなかったら、オレの仕事は上がったりなんだよ! アイドルは夢を売ってナンボなんだから! 仕事が一切入らなくなっちまったじゃねえかよ! ふっざけんな!」
マイトは古森を罵倒する。
古森はふうと息を吐くと、
「なら……もう二回、願いを叶えることができますよ。如何なさいますか?」
と言った。
マイトは大きな声で笑って、
「なら! 心配されずに! 注目されたい! これでどうだ?」
マイトは得意顔で古森の方を見る。
「そんな顔されても……。まあいいや。叶えましょう」
古森は指をはじいた。

「泉川さんって、そういう新聞読むのね……意外だわ」
泉川が一年G組の教室でスポーツ新聞を広げているのを、ひびきは物珍しそうに眺める。
「あ……いや。マイトっていうアイドル? さんってご存じですか?」
そう言って、泉川は一面に載っている青年の写真をひびきに見せる。それを見たひびきは驚いて、
「あーっ。この人、この前『がじぇっと』に来たわ。この人がどうしたのよ」
「未成年なのに喫煙してたんですよ……。ネットでもテレビでもすごいバッシングなんですって」
「まさか! 『心配されずに、注目されたい』って! ああーっ、もう! ふざけないでよ!」
ひびきは頭を掻きむしる。
「まさか、コモリさんが?」
泉川さんは新聞をたたみ、ひびきの方を見る。ひびきは少し青ざめて、
「そうよ。まったくあいつが関わるとロクな事が起きないんだから!」
と言った。泉川は
「でも、コモリさんって悪気があってそうやっているわけじゃないのでしょう?」
とフォローするが、
「それは分かっているわよ……分かっているからこそ、あいつが……! あああっ! もう!」
ひびきは地団駄を踏んだ。

放課後、ひびきは急いで『がじぇっと』まで行くと、やつれたマイトが店に入ろうとしているのが見えた。
「ちょっと、マイトさん。もうここには来ちゃダメ」
ひびきはマイトの腕をつかむ。しかし、マイトはそれを無茶苦茶に振りほどくと、
「最後の願い……それを叶えてもらうために来たんだあっ! オレに触るなあ!」
と絶叫した。あまりの声の大きさにひびきは尻餅をつく。
「おい、ガキ! オレの願い、最後の……残ってるよな?」
入店するなり、マイトは古森の胸ぐらをつかむ。
「え……えぇ。残っていますよ。使いますか?」
古森は微笑む。
マイトは不気味に笑って、
「じゃあ、こうだ。『心配されることなく、しかし不祥事で叩かれることなく、テレビの主役になりたい』こうだ! これでカンペキだ!」
と叫んだ。
「本当にその願いでいいんですね?」
古森は少し残念そうな顔をする。
「なにが不満なんだ? さっさと叶えろよ」
マイトは古森をにらみつける。
「わかりました、叶えますね」
「コモリ、だめ!」
古森は指をはじいた。ひびきは止めようとしたが、間に合わなかった。

意気揚々と店から出て行ったマイトは、事務所に戻ることなく、そのまま謎の死を遂げた。
テレビのワイドショーでは面白おかしく、それを取り上げた。
誰一人彼の死を悲しむ者はいなかった。しかし、非難をされることもなかった。
ある日曜日の「がじぇっと」で、ひびきはカウンターの奥にあるテレビを見ていた。
テレビではアイドルマイトの死について、不謹慎な笑いとともに取り上げられていた。
「まさかねえ……こうなっちゃうとはねえ……」
古森は奥のテーブル席からカップを下げながら、こう言った。
「ちょっと、少しは責任を感じなさいよ」
ひびきは、悪趣味な内容を映しているテレビを消してこう言う。
古森は遠い方を見て、
「感じているよ。もちろん感じてるさ。これで彼が幸せなら……でも……本当にこれで……幸せって……」
と呟いた。その声は少し震えていた。