豊かさと貧しさについて、書き殴る。
「あなたは貧しいから、施しをしてあげましょう」
このように、他人からジャッジされることこそ、人としての尊厳を傷つけるものはない。
美術館に行けないから、貧しい?
ディズニーランドに連れて行ってもらえないから、貧しい?
それは、お前らの基準だろう。
人の豊かさを勝手に決めるな。
ディズニーランドには、中学の修学旅行以外行ったことがない。
ユニバーサルスタジオジャパンも、一度目はフリースクール、二度目は母と一緒にドラクエしに行ったぐらいだ。
そんな私の家庭環境は、かなり恵まれていた。
学生時代はまったく知らなかったが、父はやり手の営業マンだったそうで、インセンティブをかなりもらっていたらしく、思い出すと、世間より豊かな生活をしていたと思う。
塾とか通わせてもらったし。
小学生の頃からパソコンに触れた時点でかなり恵まれているか。
今も実家暮らしさせてもらっているし、その時点でもう豊かな生活は送れている。
その結果が、こんなクズで申し訳ないのだけど。
恵まれた生活だったが、家族でディズニーランドには行ったことがない。
しかし、旅行にはたくさん連れて行ってもらった。
ゴールデンウィークに旅行をするのが、我が家の一大行事だった。
新潟の糸魚川で翡翠を見たり、フォッサマグナを見たり、富士山の五合目まで行ったり、恐山に行ったり、とにかく書き切れないほど、たくさんの場所に連れて行ってもらった。
今でも、美しい記憶として残っているのは、5歳か6歳頃の旅行のときのものだ。
車で眠っていた私は、目覚めると、母の背中に背負われていた。
目の前には一面の菜の花が広がっていた。空は澄んだ青空。
とても気持ちよかった。
もし、一分だけ過去に戻れるなら、あの光景を母の背中で見たい。
それぐらい、私にとって素晴らしい記憶だ。
思い出すだけで、涙が出てくるぐらい、とてもとても大好きで美しい記憶。
たかが菜の花畑。だが、私にとっては一生の宝物だ。
何が「豊か」で何が「貧しい」か。
そんなのは人様がジャッジすることではないし、ジャッジすることそのものが、貧しいことだと思う。
貧しさの否定は、ハングリー精神の否定になる。
貧しさは決して悪ではないはずだ。
ま、こんなことを言えるのは、お前は豊かな生活を送ってきたからだろうって言われそうだけど、半分、父親のせいで精神が病んだ。
幻聴で苦しみたいのなら、変わってあげてもいいよ。
一応、現時点での父の評価を書いておこう。
父は決して性格は悪くない。
ただ、まったく気が利かないせいで、家族を振り回す、もっともタチが悪い父親である。