雑記:2024/03/29

簡単なメモ。
都合の悪いことになると、相手のせいにする他責性。
自分が言い出したことなのに、相手を言い出しっぺにするあまりに都合の良い思考。
下手くそなくせに、自分が一番だと思い込む自尊心の肥大。
難癖をつけるのだけは、一流で傲慢。


一昨年の話。
どこかで書いたかもしれないエピソード。
母の幼馴染みで国語を研究している先生がいる。
で、その先生に「闇子」を押し売りした。
「伏線が終盤で一気に来るのは唐突」
「テーマ過多」というアドバイスは頂いたものの、
面白かったという感想のお手紙をもらって、うれしかった。
で、そのときに、「あなたの日本語は意味不明。理論だってない。精神病のせいでしょ」って
言われたことの相談をした。
「『言葉』というのは『正しい』も『乱れる』も相対的なもので、絶対的な基準はない。
言わんとすることが伝われば良いだけ。『あなたの文章の意図』は分かるし、
その発言は随分と上から目線だから、そういう人もいるとすればいい」という
アドバイスをもらった。
言葉に対する真摯な向き合い方を理解してもらえてうれしかった。
ま、私をキチガイ扱いした人は私の周りの人もディスってもいたので、
こういう考えや感情を理解出来ないんだろうな。かわいそうな人。
エコーチェンバーに囲まれて、ある意味幸せかもしれない。

で、その先生から「ぼくらの戦争なんだぜ」(高橋源一郎著)を教えてもらった。
この世界を自分の言葉で掴むための参考になると。
先の戦争の話なので、内容はハードなのですが、
手に取るような風景を描く大切さが学べた本でした。
端的にまとめると「『自分の芯』がないと、表現はできないよね」って話です。


創作……というか、表現に対する持論なのだけど、
自分の核というか、芯というか、それと向き合う作業なのが、「表現」だと思う。
フロイト的にリビドーとかいうけど、それはともかく。
結局変わったけど、「ロリ」を「ひよこ」に変えようが、
ロリを書きたい本質は変わらない。
「ひよこに性的な意味を付けるのは問題」とする人もいるけど、
DLsiteや変態番付を見る限り、どのジャンルにも変態はいるのだから、
今更はじまったわけじゃないでしょ。
言葉自体に色はつかない。

民間の表現規制が激しくなった気がする。
鳥取で有害指定図書に認定されたせいで、Amazonから消えた本とか、
「本を売ったら、テロを起こすぞ」とか、
今回のクレカのDLsiteもだけど、民間の強い圧力によって、表現を売る市場が縮小していっている。
「Amazonで売れなくなっただけで、他では売っているなら、それでいいでしょ」と
言い切った人間もいるけど、
Amazonという大きな市場を奪われることの恐ろしさを知らないのだろうか。
分からないんだろうな。市場を知らず、思想に染まりきっているから。
そういえば、発売中止になった角川の本は、別のところから出版されるらしい。
それ自体は喜ばしいことだけど、
概要を読む限り、日本ディスりの表現規制を推し進めたい内容らしいから、
まあ、なんとも、皮肉な事件だったわね。