雑記:2024/02/14

とっちらかったメモ。
お焚き上げです。


人として、最低限守らなければいけないルールがある。
生命体としてのルールとしたら、カニバリズムとか。

現代社会に生きる人間として、最低限守らなければいけないルールは多い。
人の心がない人間でも、普通に社会人をやっていれば、
いや、学校生活や日常生活を送っていれば、無意識にルールは守っている。
この「ルール」は言い換えると「常識」というものだ。

デーモン閣下だっただろうか。
「常識破りは非常識ではない」という言葉がある。
これは「常識を知らないといけない」という戒めだ。
悪魔ならではの言葉だろう。

常識というのは、倫理・道徳と繋がる。
厳密に言えば、倫理と道徳はちがうのだけど、
今回は倫理にまとめる。

倫理の延長線上に法律がある。
だが、人間社会に生きる上で、法律さえ守っていれば、社会は成り立つだろうか?
答えは簡単だ。
成り立つはずがない。
法律は最低ランクの規範でしかない。
この辺は学者が研究している話なので、これ以上、言及するのはやめておく。

倫理の話に戻るが、倫理というのは、
「社会で生きていく上で、守らなければいけない人間としての在り方」だと考えていて、
つまり、私は「常識=倫理」と定義付けている。
同性愛が禁忌とされていたのも、アブラハムの宗教の倫理のせいである。
そんなの、古くさいでしょ? 今じゃ絶対にあり得ない。
でも、当時は倫理としていけないこととされてきたし、それが常識だった。
今でも、宗教=倫理=常識という国は多い。

この最低限の倫理(=人間として守らなきゃいけないルール)は、時代によって変わる。
しかし、「相手の尊厳」を貶すことは、どの時代でも禁忌のはずである。
相手を貶めることを善とする理由はどこにもない。
一人を貶したことで、一族郎党殺されても仕方がない時代もあった。
(それを防ぐために「自己救済の禁止」がある)
それを理解できない人たちが、ネットで悪口を書いたりする。心ない言葉を吐く。

これでよく「倫理のアップデート」とか言える。
「倫理のインストール」すらされてないじゃないか。