「ちょっと待ってよ。どうして、あたしがあんたに拉致されなきゃいけないのよ」
「いいだろ、こんなに豪華なリムジンに乗ることなんざ、流浪のお前にはまずないだろうから、少しは得したと思えよ、クロス」
いつもの通り、ホバーボードで旅をしていたあたしたちは、アデク村の近辺に来たとき、好敵手(フレネミー)の青年ヴィンと取り巻きのグラサン集団に捕まり、そのまま黒塗りのリムジンに連れ込まれた。
「おい、ヴィン。妹を襲うのはいいが、姉の私がいるのを忘れてないか?」
「襲わねえよ! クロスを襲ったところで返り討ちに遭うのがオチだ! って違う!」
あたしの星形のチョーカーである姉さん――どうしてそうなっているのかを深く話すと一時間ぐらいかかるから割愛させて欲しいのだけど――が、代わりに聞いてくれる。あたしは姉さんをそっと撫でながら、
「姉さんの冗談は悪かったわよ。ヴィン、でも何も言わずに車に連れ込まれたらワケが分からないわ。さっさと話すなら、話しなさいよ」
「ここじゃマズいんだ。今、この車はオレの別荘に向かっている。そこで話をさせてくれ」
「はあ」
あたしと姉さんの声は揃った。
★
通されたのはプライベートビーチがある大きな屋敷だった。天気も良いこともあってか、磯の香りが気持ちいい。
「なあ、サザンクロス。水着があったら泳ぎたくなるか?」
「姉さん。あたしがクラゲでイヤな目に遭ったの、覚えてないの?」
気持ちよく窓辺で海を見ているのに、姉さんは嫌みなことを言ってくる。
「クロス。風が気持ちが良いところ申し訳ないが、ちょっと窓を閉めてくれ。カーテンもだ。内密の話なんだ。それに風で資料が飛んで行ってしまう」
振り返ると、なみなみとお茶が入ったガラスのサーバーとそれとお揃いのカップがテーブルに載っていた。ヴィンはその横に分厚いファイルを置く。お付きのグラサン集団はいない。チキンのヴィンにしては珍しや。
「ちょっと、コレを見てくれ」
カーテンまでちゃんとキッチリ閉めると、ヴィンのファイルを覗き込む。
「アデク村の記事? ん? どういうこと? 新しい……。えっと。宗教? ん?」
「読めねえのかよ、全く! オレが読んでやる!」
「この地域の文字、ネイティブじゃないのよ、前、言ったわよね? あたしは旅人よ!」
あたしはヴィンの明るい茶髪を掴むと大きく引っ張った。
「おい、やめれ。てめえはオレをはげさせるんか!」
「はげたっていいじゃないの。どうせ、その程度じゃないさ?」
「二人ともその程度にしておけ。話が脱線してる」
姉さんの仲裁で冷静になった。ヴィンに一言無礼を詫びる。
「話を戻すぞ」
ヴィンは咳払いする。
「この書類はアデク村の調査書類だ。これに書かれているのをざっと一言で言うと、今、この村は新興宗教が流行っている。そこでクロスに旅人として潜入してくれないか。観光にかこつけてるだけでいいんだ。写真とか撮ってきてくれたら万々歳だ。お願いできるか?」
「私たちは元々アデク村に行こうと思っていたから、別に構わないぞ」
「姉さん! 勝手に決めないでよ! ねえ!」
思わず姉さん(チヨーカー)に触れる。
「アデク村に行こうって決めたのはサザンクロス、お前だぞ。寄る辺がない神官がいるってどこかで聞いたんだろう? もしかしたらあいつかもしれないって」
「まあ、そうだけどさ……」
「あいつって……? もしかしてお前ら、弟の手がかりが見つかったのか? 死んでなかったのか?」
お茶をグラスに注ぐヴィンは尋ねる。
「まあね。あの事件から十年後の弟が映っている神官大学の集合写真を見ちゃったらさ、そら、希望も持つわよ」
「良かったじゃんか。じゃ、行ってこい」
ヴィンは気持ちの良い笑顔で小型のカメラを差し出した。
★
今、あたしは風を切るようにホバーボードで村を目指している。
ヴィンと姉さんに言いくるめられた感じがちょっと悔しい。この気持ちを晴らすかのようにスピードを思い切り出す。姉さんはスピードを落とせと騒ぐけど、知ったことか。
「そういや、姉さん。考えてみてよ。新興宗教に毒されている村にいる神官がアイツって考えにくいわ。あんな弱虫がそんなアウェイでいられると思う? きっといないわ。このままトンズラしましょうよ」
「人は五年も経てば何もかも変わってしまうさ。十年、それ以上経ったら尚更だ。それに約束は基本的には守らないといけないぞ」
「そんなものなの?」
「そんなものだ」
姉さんの言葉に若干心が沈む。弟と再会したいのは山々だけど、もしそうなら、ここではなるべく会いたくないな。ヴィンのいいようにされているのも沈んでいるのも理由だけど。
★
村はシケた雰囲気だった。子供や若者の数が少ない気がする。少子化なのだろうか? あまり活気がない。
村の奥まったところにある神殿だけは豪華だった。
ま、豪華っていっても悪趣味だけどさ。いわゆる金ぴか成金趣味って言うヤツ。まだヴィンの方が上品だと思う。一応貴族のうちに入るだけはある、気がする。
神殿の写真を撮っていると、
「あの、旅人さんですか?」
神官装束の女性が話しかけてきた。スレンダーな体型で背が高い女性だ。あたしがチビっていうのもあるんだけどさ。ここに弟がいなくてなんか安心した。胸をなで下ろす。
「ええ。そうだけど。あなたがここの神官さん? しんどいわね。こんな新興宗教がいちゃ、本来の仕事ができないでしょ?」
「別に変わりませんよ」
女神官は微笑む。
「なあ、サザンクロス。ずっと気になっていたんだが、神官の仕事って一体なんなんだ? 育成する大学があって、そこから地方に出向しているまでは聞いた。だが、そいつらは何をしているんだ?」
「姉さんって、変なところで無知よね。分かったわ。説明する」
咳払いをする。
「神官っていうのはいわゆる不思議な『力』の持ち主のことよ。『世界を変える意志』って言われているわ。神官は大なり小なり、そういうのを持っているんだって。でも、神官って言っても具体的な神様を信仰しているというよりは……ううん。凄く、もの凄く雑に表現すると、その『力』を以てこの世界を良い方向に進ませようとしているって感じらしいわね。で、合っている? 神官さん」
「ええ。合っています。ご説明、ありがとう」
神官は微笑む。
「ううん。つまりは私やサザンクロスがよく使う『アレ』に近いってワケか」
「直接『力』を見たわけじゃないから、確証は持てないけど、姉さんの言うとおり、多分近いと思う」
姉さんはあたしのつたない説明に納得してくれた。良かった。
「立ち話は何ですし、こちらへ。ちょっとお願いしたいことがあるんです」
女神官の言葉に何事か? と首をかしげた。
通されたのは荒ら屋だった。こんな所によく人が住めるなあ、ってぐらいボロボロだ。
「ごめんなさいね」
神官は申し訳なさそうに笑う。
「別に良いさ。話だけでも聞こう」
「喋るチョーカーって本当にいらっしゃるんですね」
あたしは姉さんがチョーカーであるということを見抜かれていることに今気がついた。びっくりして目が落ちそうだ。
「やっぱり不思議な力を持つって言う神官だけあって、私がただのチョーカーではないって分かるんだな」
に姉さんは笑う。
「聞いたことがあるんです! 不思議な姉妹の旅人の話。おとぎ話かと思っていましたが、実際にいるなんて、驚きです!」
神官は目をランランと輝かせる。
「おとぎ話……」
姉さんは引きつった声で笑う。
「ま、いいじゃない。おとぎ話だってなんだって。あたしたちはただ写真を撮って帰るだけよ」
「そうだけどな……。なんかモヤモヤが」
なんか姉さんらしくない。細かいことに気にするようなタイプでないのに。
「あの。旅人さんにお願いするのは申し訳ないのですけど。探して欲しいものがあるんです」
「は?」
突然の申し出にそんな声しか出ない。
「この村には破戒神官がいます。彼が持つグリモワールを探してくれませんか? あのグリモワールがあれば、きっとこの村の人々は救われます」
「どういうことだ?」
姉さんは訝しげな声で尋ねる。
「あたしたちはただの観光できたのよ。正直、この村がどう転がろうか知ったことないの。それに名前も身の上も知らない根無し草にそんな大切なことを頼むモノじゃないわ」
言ってやったぞ! いつも流されるあたしだけど、流石にこれで今回は断れるに違いない!
「もちろん存じておりますよ! サザンクロス=クロウエアさんですよね。通称・春風のクロス! 方々で人助けをしている不思議な旅人がいて、去った後には新しい季節が来たかのようになるというウワサを聞いております」
そんなウワサがあるとは……。こっちはテキトウに適当にやっているだけなんだけどな。
「だからこそクロスさんにお願いしたいんです。この村のどこかにあるグリモワールを取ってきてくださいませ!」
最敬礼されてしまったら、あたし自身どうしようもない。
「分かったわよ。探せば良いのね? 貰えるモノはちゃんと貰うわよ」
「ありがとうございます!」
神官は明るい表情で再び最敬礼した。
★
グリモワールを探して、って言われても、「観光客」のあたしにとってはこの村がどういう施設があって、どういう地理なのかとかわかるはずがない。
ま、観光がてら探そうと姉さんと決め、最初に行くことにしたのは、新興宗教の神殿だった。
金ぴかの悪趣味な成金神殿には難なく入れた。観光客って結構強い切り札ね。
村人の説明は下手すぎて頭に入ってこないけど、ここの教祖のおかげで村は豊かになったそうだ。
「別に救われているのなら別にいいんじゃないのかしら。本人達がそれでいいならさ」
説明係の村人がいなくなったので、姉さんに触れる。
「ま、そう言ったらそうかもしれないが……。こんな金だらけの神殿なんて、名産が特にない貧しい村で作れるとは思えない。それにヴィンがお前に調査を依頼した理由も気になる。若い層がいないのも気になる。もしかしたら……」
姉さんが黙ってしまった。なにを考えているんだろう。
「ま、さっさと奥まで行って、あったら拝借して、なかったらなかったでトンズラしましょ」
あたしは軽く姉さんを叩くと、お祈りをしている村人にバレないように、そっと最奥部に向かった。
「ここかしら? なんかイヤなエネルギーを感じるわね」
最奥部は、金どころか、大ぶりの宝石がキラキラ下品に光っているトビラがあった。
「簡単にここまで来られたのもイヤな予感するが……。お付きの者がいないって不思議すぎる。ただ、気持ち悪い気を感じるのは確かだ。さっさと用事を済ませておさらばしよう」
姉さんの言葉に頷くと、トビラを開けた。
驚くほど軽いドアだった。拍子抜け過ぎて、こけてしまうほどだ。中は白と黒の部屋だった。表の無駄に煌びやかさは全く見られない。変な感じ。
「誰だっ!」
中年の背の高い男が叫んだ。
「誰って言ったって……。そっちこそ誰よ? もしかして破戒神官? やだー!」
あたしも叫ぶ。
男は挙動不審に、
「お……おれはこの村の神官だ。破戒なんてしてない! この宗教の教祖を問いただすために来たんだ。もしかしてお前があの女の黒幕か? 変な格好に変なボードを担いで。長い黒髪にその紅い目って胡散臭すぎる」
「胡散臭いのはどっちよ。あたしはただヴィンに頼まれた調査をしに来たついでに、ここの神官さんからグリモワールを探すように言われているだけよ」
変な格好……。確かにあたしの旅人装束は変わっているって言われるけど、この言い方には頭に血が上りそうになる。
「繰り返しで申し訳ないが、お前がこの村の神官なのか?」
姉さんは訝しそうに男に尋ねる。
「ああ。おれが確かにこの村の神官だよ。他に誰がいるんだ?」
「あたしが会ったのは背が高くて茶髪のショートカットの女性だったわ。目は灰色。一重でいわゆるクールビューティっていう部類の人ね」
なるべく特徴を思い出す。
「ちょっと待て。そいつ、教祖だぞ」
「え、何それ」
男の言葉に変な声を出す。ウソでしょ、どっちが正しいのかしら?
その刹那。
「くせ者!」
村人と思われる信者が複数人、部屋に集まってきた。
「てめえのせいで目立ってしまったじゃないか!」
男はあたしの胸ぐらを掴む。
「そんなことを言ったって!」
こいつから離れようともがいていると、
「サザンクロス、そのままそいつを離すなよ」
姉さんがそう叫んだ。と、同時に身体が宙を舞ったかのような浮遊感を覚え、そのまま意識を失った。
★
目が覚めるとあの荒ら屋のベッドの上だった。
「あ、やっと目覚めたか、嬢ちゃん」
「そのようだ。神官殿、ありがとう」
さっきの男と姉さんの声がする。
ベッドから降りると、
「ねえ、姉さん。また飛んだの? ちゃんと前もって言って欲しいわ。てか、あたし、どれだけ寝てた?」
頭を掻きながら、さっき起きたことを整理する。
「正味三十分もない。村人はテレポートした私たちを探しているようだ。この家に来るのも時間の問題。もう少し力が使えればヴィンまで飛ぶんだが。まあとにかく、作戦を話すから、とりあえず聞け」
姉さんは咳払いをすると、
「話によると、この神官殿はあの女――教祖――と村全体の不正を調査しているんだと。この村の高年層は若者を村外で労働させて、自分たちはのんびりその金で遊んでいるとか。立派な神殿もそうらしい。それであの教祖は悪徳がつくブローカーってヤツだ。文字通り若者から金を吸い上げている。通りで若年層が少なかったんだよ。あの教祖を通じて若者を働かせるだけ働かせて、年寄りは皆甘い汁を吸っていたんだから。宗教って体を使えば、税金を支払う必要はないってところもよく悪知恵が働くヤツだ。あのまま捕まっていたら、ただじゃ終わらなかっただろうよ、サザンクロス」
「でも、なんであたしの名前を知っていたの?」
「そんなの知ったことか。いろんなところでいろんなやらかししてたら、そら、ある程度は有名にはなるんじゃないか?」
姉さんは他人事のように笑う。
「話を戻すぞ、サザンクロス。この神官殿をヴィンのところに飛ばしてくれ。それぐらいできるだろ、あいつからのおつかいでよくやっているから」
「そ、そら。よくやっているわよ。あいつがあたしの生存確認代わりにしているって言っているぐらいはやっているわ。でもそれとこれと……」
思考は一旦停止した。動き出した思考回路が繋がり、姉さんの言わんとすることが分かって来た。
「もしかして、この神官さんをヴィンのところまで飛ばすってわけ? 姉さん、それは荷馬車に人を放り込むようなことよ。危険だわ」
「ちょっと、チョーカーの姉ちゃん。そんな、安全にモノを送る『力』なんて、神官ですらあまりいないのに、こんな小娘に出来るって言うのか? それもオレを飛ばすって……ふざけてるのか?」
神官さんにも指摘されてる。
「お前らの『力』と私たち姉妹が使う『力』が同じかどうかは分からない。でも、私の妹は自覚こそしてないが、トリプルS級で不思議な力が使える。そうでなかったら、私をこうやって無機物にさせてまで生かせてないからな。神官殿なら理解できると思うが」
神官は黙ってしまった。ってか、姉さん、一体何を言っているのかしら?
「つまり、嬢ちゃんの『力』とそのコントロールを信じろ、ってわけか」
神官は肩をふるわせ笑う。自暴自棄のようだ。
「じゃ、くれぐれも丁寧にやってくれよ、サザンクロス」
姉さんは真剣な声だった。
無事、証拠である書類ごと神官を飛ばした直後、荒ら屋のボロボロのドアが乱暴に開いた。クワやスキを持った年寄りの村人が鬼の形相でこちらを見ている。
「嬢ちゃん。オレらを貴族に売るつもりか?」
一人のジジイが入れ歯をガクガクさせながら叫んだ。
「貴族に売る? 何のことだ?」
姉さんは鼻で嗤う。お願いだ、あまり火に油を注がないでくれ。
「じゃあ、どうしてあの神官がいないんだ? 子供を守れ、子供も一人の人間だって叫んで貴族に媚びを売っていたあいつが!」
「子供に甘い扱いをすると、大人を舐めてかかるんだ。厳しく育てるのが子育てってヤツなのに、それは虐待だってあの神官は叫びやがって!」
年老いた村人はおのおの、そうだ、そうだ、と叫ぶ。
「わたくしがそれを救ったのですよ。春風のクロスさん」
茶髪のショートカットの女神官――教祖サマ――が薄ら冷たい笑みを浮かばせていた。
「救ったのね。あの悪魔の手段で。じゃあ、この危機的状況のあたしも救ってよ」
「それは無理ですね。見逃しはしませんよ。あなたの伝説もここまで。わたくしが新たな伝説となるのです!」
教祖は大声で笑った。
「どういうこと?」
教祖の言うことが訳分からなくて、首を捻る。
「あなたの存在は一種の宗教となっているんです。今の自分の状況を良くしたい、世の中に不満を持っている人たちが思い通りの人生を歩みたいそう考えている人たちにとって、冬から春になるように、絶望から希望になる存在があなたたち姉妹です。わたくしはそんなあなたたちに憧れました。だから、これから」
教祖は大きく息を吸い、
「次からはわたくしがその役目をいたしますので、是非! 消えてくださいませ!」
と叫んだ。同時に、村人達はあたしたちに向かって武器と化した農具で襲いかかってくる。
とっさにホバーボードに乗りエンジンをふかした。そして村人に向かって発進した。村人はパニックを起こし、あたしたちを避ける。
痛みもなしに荒ら屋から突破できた。でもこれで安心とはいかない。無理矢理ふかしたため、ホバーボードがエンストを起こしたのだ。修理するには小一時間かかりそうだ。
息はあがっているものの追いついてきた村人達を見て舌打ちをする。
「姉さん、あたし、一暴れするわよ」
「分かった」
姉さんの返答を聞いたあたしは、ジャケットを脱いだ。
「どこからでもかかってきなさい。たった一人の人間にそんな多数で襲うなんてチキン以下のナマモノさまたちよ!」
あたしはわざとに村人を挑発させた。
「なにを! 我々を罵倒するなんて!」
挑発に乗った村人達はあたしたちに襲いかかってきた。
「男も女もいる村なのに違う口で同じ事しか言わないなんて、バリエーションないわね」
深呼吸するとまっすぐ敵を見据えた。
あたしは一人の女が振り上げたクワの柄を持つと、そのまま下に振り落とした。女は地面に叩きつけられる。柄は折れた。直さない限り、農作業は無理だろうな、とちょっと心苦しい。
次々と襲ってくる村人が持つ農具を足や腕でバッキバキ折っていく。スキやクワなどの柄は木なので、ちょっとしたコツさえ把握すれば容易に折れる。
武器を折られた村人は戦意喪失しているようだ。一人は素手で殴りに来た人がいたけど、他の村人の武器を折った拍子に頭をぶつけたらしく、気絶していた。
村の様子は死屍累々……まではいってないけど、青ざめた村人がへたり込んでいた。立っているのは教祖様だけ。さっきと違って、その手には分厚い本が握られていた。
「力を感じて、このボロい家を探したらありました。灯台下暗しってこのことですね!」
教祖は高笑いして本を掲げる。
「グリモワールがやっと見つかった! ここに来てあの男に危険物ってことで盗られたグリモワールが!」
まるで自分の宝物が見つかったかのように微笑む。
「クロスさん、ごめんなさいねえ。あなたの手を煩わせる必要なかったようです」
冷たい声で教祖はあたしを茶化す。
「ねえ、春風のクロスさん。生きた人間を本の中の登場人物にするグリモワールって知っていますか? わたくしはこの本で様々な人々の人生を読んできました。凄く楽しかった」
子供をあやすような声で教祖はこう言うと、
「春風のクロス。あなたの伝説もここまで。おとぎ話はおとぎ話として本の中にいなさい! ずっと大切に持っていてあげるから!」
あたしに向けて本を広げた。気持ちが悪い匂いの風が舞う。中身は真っ白だった。真っ白な本って不思議ね……なんて思っているどころではない。本の中に文字通り「吸い込まれそう」なのだ。恐怖でしかない。
「こけたらオシマイだな」
「姉さん、のんきに構えないでよ。あたし、いまどうすれば良いか、考えているんだから! 姉さんも考えて!」
妹のピンチになんでこんな様子でいられるんだ。
「サザンクロス。私を外せ。そしてあの中に投げろ」
「は? どういうこと?」
「私たち二人とも吸い込まれるよりは、まだマシな結果になるはずだ。さあ!」
姉さんが何を言っているか分からないけど、あたしは姉さんであるチョーカーを外した。
そして、本に向かってぶん投げた。
「なにを考えているのですか? どうかしたのですかね」
教祖の女は高笑いをした。姉さんは本の中に吸い込まれ、そのまま本は閉じられた。
「さあね、姉さんが考えていることはあたしにも分からないわよ」
風がなくなったあたしは息を整える。
「伝説の姉妹の別れってワケね。悲劇的で最高だわ! ステキよ! でも、心配しないで。今から会わせてあげるわ。本の中でね!」
教祖は再び本を開いた。姉さん、何のために吸われたのよ。あたしにどうしろってワケ? 緊張が走る。今はあたししかいない。ここをどう切り抜くか。
「うっ」
教祖はカエルが潰れたような声をした。手に持っていたグリモワールは恐ろしく分厚く、大きな本になっていた。青ざめた村人たちは慄いた様子で散らばっていく。
「腕が折れる!」
慇懃無礼な態度はどこへやら。教祖の女の腕はグリモワールの下敷きになっている。顔は冷汗三斗。真っ青だ。
「助けて! 助けて!」
教祖の女はあたしに助けを請う。
助けてと言っても、正直あたしに解決策は思いつかない。姉さんかあの神官だったら知っていそうだけど、今はいない。
「助けて、って言ったってさ。あたしも姉さんをここから出してあげたいけど、あなたがその様子じゃねえ……。とりあえず、あの薄情な信者よりは近くにいるから、死にやしないわ、多分ね。安心して挟まっていなさい」
どうしようもなさに溜息をつく。
あたしはランタンに明かりを灯すと、ホバーボードの点検を始めた。
★
モノホンの神官とヴィンがやってきたのはそれから一時間後だった。まさかヘリコプターなるホバーボードよりも浮く、空飛ぶ乗り物で来るなんて、金持ちって凄いわね、って驚く。
「おい、クロス。首のチョーカーがないぞ。姉御さんは?」
ヴィンは開口一番そう言った。
「あの大きな本の中。グリモワールに吸い込まれてしまったわ。どうしようか悩んでいるところ。神官さんなら解除出来るかな、と思って、待ってたの」
「クロス。お前って変なところで冷静だよな」
ヴィンは複雑な表情をする。
グラサン集団や明らかに警察や軍人と思われる人たちもわらわらとやってきた。
大男が例のグリモワールを持ち上げようとしているのだけど、なかなか持ち上がらない。
「ちょっと待ってくれ。処理をする」
村の神官さんは大男をかき分けた。数秒経つと、ぴかり光った。
「今すぐこれを燃やしてください。テクタイト卿! 力を持つ人間が扱うには危険すぎる!」
振り返り叫ぶ鬼気迫る神官さんに、さすがのヴィンも、
「分かった。やるから、落ち着け」
そう言って、胸ポケットからライターを取り出した。
★
「これから一人で旅をするのかと思うとちょっと怖かったわよ」
「嘘つけ。うるさいのが消えたと思って嬉しく思っているくせに」
姉さんを首に巻く。
「さて、行きますか」
貰うもの貰って準備を終えたあたしはヴィンが用意した豪華な部屋から出た。
「おい、クロス。話を聞いてない」
大きな隈で眠たそうな目のヴィンがあたしを引き留める。
「おはよう、ヴィン。どうしたの、寝不足ぎみのようだけど」
「てめえのやらかしの後始末だ! っても、今回は流石にお礼しか言うことないけどな」
「どういうこと?」
あたしは首を捻る。
「お前も疑問に思っていることがいくつかあるだろう。オレも疑問に思っていることが何点かある。朝食がてら話してくれ」
「なにから話せば良いか」
「ヴィンってば、こんなに美味しい朝ご飯を食べているのね」
「サザンクロス。今はそういう場合じゃないと思うぞ」
美味しいパンに甘い卵焼きとサラダという初めての組み合わせに驚いた。かなり美味しい組み合わせだ。食べ過ぎちゃいそう。
「あの女は、クロス、お前を狂信的に好きだったようだ。まるで本物の神様のように」
「は?」
パンのくずが喉の変なところに入り、咳き込む。
「だから、クロスが方々で人々を救っているの聞いて自分も真似したくなった。でも旅をしててもクロスのようにうまくいかない。やっと救えると思ったのがこの村だった。若者に不満を持った年寄りを救いたかったそうだ。それがあのざまじゃ、誰も救われないよな」
ヴィンの言葉に恐ろしさを感じた。味が分からなくなる。
「一ヶ月ほど前、あの村出身の青年たちが直談判してきたんだ。仕送りとして給料を吸われてこのままだと年寄りに殺される、って。そこであの村を調査をしていたわけだ。あの神官さんも同じ危機感を持っていてくれたおかげで、警察に訴える必要な書類はすぐに作れたよ。一徹で済んだのは彼のおかげだ」
ヴィンはコーヒーを美味しそうに飲む。
「で、あの教祖が潰されていたグリモワールだが、ウワサじゃ三百年前に書かれたグリモワールだったらしくてさ。あの女の宝物だったようだ。孤独を紛らわせるために人々を吸い込んでは読んでいたらしい。研究に使いたかった、って叫ぶ研究者もいたが、あまりに危険すぎるということで、ちゃんと処分したから安心してくれ」
「そんなに貴重なものだったの。あの女がいうには、吸い込まれた人を物語にするって言っていたけど、マジだったのね! ところで姉さんが吸い込まれたらどうしてあんなに分厚くなったの?」
「それは私が説明しよう」
姉さんが割り込んできた。
「サザンクロスとの旅より、私単体の生き様の方が長いからだよ。経験が豊富ならページ数も分厚くなるだろ? サザンクロスはまだ若いから分からないと思うがな」
「姉さん、あたしのほうが若いって、姉さんとそんなに年が……!」
茶化されてカチンときた。姉さんに触れる。
「そういうことだったのか。まあ、そんななりだったら、何かあったんだろうな」
ヴィンは納得した様子で、水を飲む。
「ところで、オレは生存確認として各地域の名物を送ってくれ、って頼んでいたけどさ、あれは業者や神官を使わず、クロス自身の『力』を使っていたのか?」
ヴィンは不思議そうな深緑の目であたしを見る。
「小さいときから使えたのだもの。みんな当たり前に使えると思っていた」
「そ……そんな凄い力があるのに大学に行かないってもったいなさ過ぎるぞ」
引きつり笑いをするヴィンに、
「まあ、根無し草があたしには丁度良いから、別に気にしてないわ」
と言うと、
「ごちそうさま。じゃ、行くわね」
あたしはホバーボードを片手に食堂を出た。
まぶしい朝日が輝いていた。その中を縫うようにホバーボードで飛ぶ。
「あのさ、姉さん」
「どうした」
「方々で人々を救っているってあの女、言っていたけど、あたしたちはそんなつもりみじんもなかった。少なくてもあたしは、ただその場の危機をどうにかしなきゃとかしか考えてなかったの。でもどうしてこんなことになっちゃったのかしら」
「そんなことを言ったって仕方がないぞ。お前らしくもない」
姉さんは溜息をつく。
「まあ、そう言っちゃそうなんだけどさ」
「今はアイツを探すのが先だろ。生きているのが判明したんだから。とりあえず、神官大学のある街でも行ってみないか? 卒業名簿とか漁ってみるだけでも価値はあるかもしれない」
「そうよね。くよくよしても仕方がない。先に進むしかないわ! 明日は明日の風が吹く! だわね」
悩みは春風に飛ばされ、心は軽くなった。