「そういう世界に生きているのだけど」を更新しました。

そういう世界に生きているのだけど
過去作をアップしました。
つまんなかった講座の提出物です。
内容は、半分私小説ですね、はい。
「大人」って卑怯ですよ。そんなものです。


オリンピック終わりましたね!
近しい故人がソフトボールのアンパイヤをやっていたので、
金メダルは特に嬉しかったです。
報告しに仏前に行きたいですね。
その故人に聞いた話じゃ、本当は宇津木監督は宇津木前監督の養女に行きたかったけど、
例え帰化してても、国籍上の問題で、それが出来なくて、
名字だけでも恩師と同じにしたとか。
記憶が曖昧だけどねえ。二十年前ぐらいに聞いた話だし。

他、長時間の死闘を繰り広げた柔道
(ロシアのタイマゾワ選手、負けて失神したのにも関わらず、銅メダルとは! 凄い!)や、
フェンシングの決勝、ケニア勢のマラソンの強さなど、凄いなあ、と思いながら見てました。
マジでタイマゾワ選手は応援したくなる選手です。
柔道の大会は見ていこう。

閉会式は……基本的に開会式より好きなのですが……。
うん……なんか……残念……。
途中までは良かったのだけど……。


今まで、自分の考えを色々書いてきたのですが、
ある方の言葉で、思いや考えというのは話すことではない、
それは小説で書けば良いと気がつかされました。
そうよね。まだアマチュアとはいえ、私は小説家だもんね。

ただ言いたいのは、
私にとって、小説は儀式であり、マラソンであり、自分の軌跡でもあるので、
とてもじゃないですが、外で携帯片手に気軽に書けるモノじゃないです。

そして、創作する人……いや、ツイッターなどSNSをはじめとして、
発信するすべてが「誰かを傷つける加害物になりえる」と思っています。
逆に言えば、それは心に刺さったり、勇気づけられる言葉や作品にもなりえます。
それだけ「発信」するという行為は、人の心をゆさぶる重たい物だということです。
どっちになるかは、内容・人それぞれです。
だから、本当は「発信」そのもの、スマホ片手に気軽に書いちゃいけないことだと思うんです。

だからでしょうか。
一時の感情などで、持論がブレてしまう人がでてきてしまうのって。
「それをやったら、結局、批判している相手と同じ穴の狢でしょ」というケースをよく見ます。
絶対的加害者・絶対的被害者なんて、空想でしかなくて、
誰かにとっての被害者は誰かにとっての加害者だというように、流動的だと、
オリンピック開催問題等で可視化された気がします。

自分が紡ぐ言葉・表現で、どれだけの人にこの気持ちが届くのだろうか、
逆に傷つくだろうか、という意識を持って、私は小説やこれを書いてます。
どちらかと言えば、純粋にこの私の心が届けば良いなと思いながら書いていますが、
やっぱり傷つく人も出ると思います。
そのときは、どうしてそういう表現をしたのかを
出来る範囲で説明しなければいけないなと考えています。

中島みゆきの楽曲「傷ついた翼」がきっかけで、
一ヶ月間、ずっと考えていたことだったりします。
この楽曲は初期の「時代」のB面の曲です。(ドマイナーなので、探してみてね)
言ってはいけない言葉で傷つけてしまった友人への贖罪の歌だそうです。
中島は父親から「言葉はナイフのように人を傷つけてしまうものだ」と言われたそうです。
しかし、「言葉で人を癒やすことも出来るのではないか」と思い、
シンガーソングライターを目指したとか。
実際、癒やされている方が多いので、凄いですよね。

中島みゆきに憧れて、作家を目指しているのもあったりします。
創作の根底はこれかもしれません。

「言葉」を大事にしたい「私の気持ち」でした。
結局、考えを書ききってしまいました。なにやっているんだ。

まあ、これは、これからの創作において、ブレないように宣言という形でしておいてください。
ブレてたら、注意してね。信用できる人なら、気をつけるよ。