同人誌「恩知らずの闇子さん」第一話試し読み

 梅雨の季節だというのに、今日一日、ぽかぽかの天気になりそうな朝のことでした。
 わたくしは、通学するため、バスを待っていました。だんだん陽気になっていく空に、思わず大きくあくびをします。後ろで並んでいる数人のサラリーマンも眠たそうに目をさすったり、大きく背伸びをしたりしています。これだけの天気です。気持ちが良いに決まっています。
 
 そのときでした。
 
「やあ、都子お嬢さま、おはようございます!」
 やけに明るい声でわたくしの名前が呼ばれたので、びっくりしながらも、振り返ります。
 そこには、うちの道場で一番強いとされる轟さんがいました。ガタイはかなり良く、学年平均より高いわたくしよりも二十センチは背が高いでしょう。目は恐ろしいほど鋭く、威圧感が強い人物で、それゆえ、怖くて、会話をしたことがほぼありません。
 それに、わたくしは中一、轟さんは高二。通っている学校も違えば、学年も違います。なので、轟さんに会うのは、道場以外でははじめてです。通りかかりでしょうか。偶然なんてあるものなのですね。
 そんな轟さんは、今、威圧感のあるイカツイ身体をクネクネさせ、鋭い顔はニヤニヤしています。
 かなり、不気味に感じますが、イヤな顔なんてしたら、おそらく轟さんは傷つきますでしょうし、うちの道場の評判も悪くなるでしょう。そうなれば、道場を取り仕切る養祖父の機嫌が悪くなるに違いありません。
 わたくしは笑顔で対応します。ぽかぽか天気で気分が晴れやかになりそうだったのに、わたくしの心にはヒョウがふってきました。この不気味な笑顔についていくのにはつらいです。
「朝からお嬢さまのような絶世の美少女に出会えるなんて、ぼくはなんてラッキーなんだ! 長い黒髪に二重の瑠璃色の目、すーっと通った鼻筋。そして透き通った美しい肌……! 奇跡の美少女の都子さんは最高ッス!」
 恐ろしいほど、目をらんらんと輝かせて轟さんはわたくしの手を握ります。轟さんの手は汗ばんでました。ぬめっとしていて気持ちが悪いです。
 どうしましょう、この状況。あまりのオーバーな轟さんの表現に、周りの視線が刺さり、胃が痛いです。吐き気を覚えるぐらいです。
「あ、バスが来たから乗りますね」
 ああ! 良いタイミング! わたくしの胃は救われました。
 わたくしは轟さんの手を振り払うと、周りの白い目から逃げられたうれしさのあまり、天国に登る気持ちでバスに乗り込みました。

 座席に座り、アルコールのウェットティッシュで手を拭いていますと、プリーツスカートのポケットに入っているコンパクトミラーがカタカタ震えはじめました。
「なんですか、闇子?」
 コンパクトミラーを開けました。普通、鏡というのは左右逆の自分の顔が映るものです。しかし、この鏡には口を押さえた「わたくし」が映っています。
「なんて気持ち悪いヤツ。気色悪い。ヤバい」
 鏡に映った「わたくし」――「闇子」と呼ぶこの鏡に取り憑いている悪霊――が悪態をつきました。闇子はポケットの中からでもわたくしの目を通して物が見えるそうです。だからさっきのやりとりも見えていることになります。
 闇子は、口が大変悪く、まるで不良です。しかし、知的で理論的に物事を考えるタイプです。とはいえ、不良なのは確かなので、様々なやらかしで、わたくしの評判を下げることをするのはどうにかしてほしいのですが、最近は諦めモードです。
「そんなことを言ったら轟さんに申し訳ないです。確かに気持ち悪いですが、ただ容姿を褒めて貰っただけですよ。何もされていません」
 わたくしは鏡の中の闇子に微笑みかけます。
「だから! それがキモいんだって! 可愛いねレベルならまだ分かる。まだ、な! でも通りがかりの知り合いに、容姿を細かく褒めて、手を握って、ニヤニヤするって、完全にヘンタイの域だぜ! ストーカーに片足ツッコんでいるぞ!」
「そこまで言わなくていいですのに。あれでも、うちの道場で一番強いんですよ」
「それが末恐ろしいんだって言っているんだ! てめえのじいさんはヘンタイをコレクションするのが趣味なのか? 今は手だけかもしれないが、次、何があるか想像してみろ! 都子! 危機感とかそういうの皆無なのか?」
 闇子は頭を抱えました。そこまで考えるほどでしょうか?

 ★

「ねえ、都子。都子って彼氏がいるの?」
 親友のそばかすが印象的な中嵜鈴がお下げを弄りながらとんでもないことを聞いてきました。思わず飲んでいたマキシマムの甘い缶コーヒーを落としかけます。危うく本にシミがつくところでした。
 ここは文芸部部室。本棚がいくつか並んでいて、簡素な席があるだけの地味な部室です。晴れているので、今日は窓もカーテンも開放しており、久々の明るい日差しと心地良い風が入ってきます。大変、気分が良いです。人が多いと疲れるタイプなので、鈴と二人きりなのも尚更良いです。
 というのも、わたくしは人が多いと落ち着かない人間なので、ちょっと嬉しいです。
 読書会――お菓子をかじりながら好きな本を読んでいるだけの時間――で、わたくしは、昔に書かれたジュブナイルSFの小説を読んでいました。
 せっかく、世界観に浸っていたのに、突然、変なコトを聞かれたのです。驚かないはずがありません。
「い、いるはずないでしょう! わたくしはまだ中学生ですよ! ちょっとそういうのは早いと思うんですが!」
 わたくしは少しこぼれたコーヒーをアルコールティッシュで拭きながら反論しました。
「うちの兄者が言っていたんだけどさ、兄者と同じ高校に通っている轟っていうヤツが都子のことを、おれの彼女だって自慢していたらしくてさ」
 鈴は、わたくしをまるで見世物のように楽しげに見たあと、彼女の好物であるチョコ菓子のシミシミチョコーンの小袋を開けます。時々思うことなんですが、鈴はわたくしをどういう感情で見ているのでしょうか?
「轟さんを知ってはいます。うちの道場のお弟子さんですよ。でも恋人関係ではありません。ほぼ会話なんてしたことないですし」
 我が家は古武術の家元で、結構長い歴史があり、弟子も多いです。そのなかでも轟さんは強さの格が違います。その強さのため、風の噂で、フィアンセがいるとか、そういう話も聞いていますが……。もしかして、それはわたくしのことでしょうか? 冷汗三斗。どうしましょう! あんな気色悪いヤツはごめんです! 絶対に死んでもイヤです! どうかわたくしの早とちりでありますように!
「そういう関係でないってワケね?」
「もちろんですよ」
 返事するのが精一杯のわたくしに、
「そいつは都子のタイプとは思えないし、そもそも都子はそういうのに興味がない気がしたのよね。だから確認しただけ。信じていなかったから安心して。帰ったら、兄者に報告するよ。ありがとさーん」
 鈴はわたくしの焦りに気がつかないようでした。最後のチョコを囓ります。自分の不安と冷や汗がバレずに済んでホッとしました。

 ★
 
 長い一週間が無事終わりました。最後の小テストの結果が多少悪くなっていたので、若干落ち込みながら、バスを降りました。
 空を見上げると、素晴らしく夕焼けが赤く染まっていました。朝に比べ、涼しい空気が心地良いです。あまりの美しさに、惚れ惚れし、大きく深呼吸をします。
「なあ、都子」
「なに、闇子」
 ポケットの鏡から闇子はわたくしの感動を邪魔をするかのように、話しかけてきました。
「もしかしてこの土日は勉強漬けにしようって思っていないだろうな?」
「今はそんなこと関係ありません。今はキレイな夕焼けを見ているんです。邪魔しないでくださいませんか?」
 わたくしは闇子のいるポケットを三回叩きます。
「あたしだって、キレイだと思っているよ。こんな見事な赤い夕焼けは久々だ。でも、それとこれとは違う。先週だって、夜十一時まで勉強していただろうが。いつか身体を壊すぞ!」
「あの、闇子。お言葉ですが。悪霊に身体の心配はされたくはないんですけど」
 キツい口調の反論に闇子は押し黙りました。闇子は、口が悪いわりに正論には弱いです。
 
「都子お嬢さま!」
 わたくしを呼び止める声がしました。もちろん振り返ります。
 轟さんが不気味な微笑みでこちらを見ていました。周りには見たこともない怖い表情をした厳つい高校生が何人もいました。金のチェーンネックレスや、ブレスレットやら、ピアスやら……。一体どこで売っているのか、どこで髪を切っているのか、教えてほしいぐらいの悪趣味な服装や装飾品や髪型をしています。せっかくの美しい夕焼けがだんだん暗くなり、空気が濁っていく感覚に陥っていきました。
「ああ、夕焼けに染まるその美しい肌! 世界中の美を結集したようなそのお姿!」
 わたくしの容姿を褒め称えます。
「やっぱり、こいつ、気色悪い。ネジがぶっ飛んでいやがる。頭、どうかしているぜ」
 わたくし以外には聞えないことを良いことに、鏡の中の闇子は好き勝手言ってきます。そこまでボロカスに言わなくても良いですのに。まあ、実際に轟さんは本気で気持ち悪い人間ですが。
「この子、轟さんの彼女なんですよねえ。本当に可愛い子だな! うらやましい!」
 金のブレスレットの取り巻きがヘラヘラした顔で轟さんに尋ねます。
「ああ、そうだろ!」
 轟さんは躊躇なく答えました。そう簡単に答えるな! と大声で叫びたかったのですが、そのニヤついた表情は、わたくしのすべてをコントロールしたがっているようで、それが非常に怖くて、全身がその場で凍り付いてしまいます。
「なら、もう、キスぐらいは出来るんでしょー。やってくださいよ!」
 派手なピアスの取り巻きは口笛を吹き、冷やかしてます。
「ああ、それもそうだよな」
 轟さんはオーラルケアスプレーを口に二回吹きかけると、わたくしの腕をずんむと掴みました。痛いです。顔をしかめます。しかし、そんなわたくしの表情を気にせず、轟さんは目をぎらつかせながら、わたくしの頭を抱え、身を引き寄せてきました。顔がだんだん近くなっていきます。この状況には恐怖しかないです。これ以上は死んだほうがマシだと思ってしまうぐらいの恐怖でした。このまま、心臓が止まってくれればいいのに! そう思うほどです。
 奥手のわたくしにはこういう状況にどうすれば良いか、正直、分かりません。逃げたくてたまらないのに、足がすくみ、腰がひけ、頭が真っ白になりました。
 その瞬間、わたくしの目の前は真っ暗になりました。
 視界が戻った瞬間、わたくしの「腕」は轟さんの顎に向かって振り上げていました。拳は顎に入り、轟さんは倒れます。
「見事なアッパー……」
 取り巻きは全員青ざめていました。
「この! ドヘンタイ! この、タコ! カス! ドクズ! 人の気持ちを考えろ! バカ!」
 わたくしの「身体」は、そう叫ぶと、そのまま家に向かって走り始めました。

 ★

「ちょっと、闇子。勝手にわたくしの身体を使わないでいただけませんか? しかも下品な言葉なんて!」
 今の状況を雑に説明すると、闇子がわたくしの「身体」を乗っ取り、わたくしの精神を鏡の中に押し込んでいます。自分の「目」を見て周りの状況ぐらいは分かりますが、身体の主導権は完全に闇子が持っている状態です。
「お言葉だけどさ、あたしはてめえの貞操を守ったんだぜ。あのままじゃ、どうなっていたか、想像ぐらいしてみろよ。少しは感謝してほしいぜ!」
 自室で鞄を置いた闇子はコンパクトミラーを開き、わたくしを見ます。確かにそれもそうです。彼女の言うことがもっともです。
 ファーストキスぐらい自分で決めたいです。
「そこはお礼をいっておきます。ありがとう」
「まあ、自分の身体は大事にしておけよ」
 闇子は顔を赤らめました。

 闇子は机に座るとわたくしの身体でスマホをいじり始めました。最近始めたマンガ原作のゲームアプリで奇抜な格好のキャラクターを操作していくカードゲームです。闇子はいわゆるゲームオタク。対戦系で負けたところを見たことがありません。まあ、わたくしの身体でゲームをやっているので、実際はわたくしがゲームオタクと不本意に思われているのですが……。このスマホゲームも無課金でなかなか強いレベルまであげています。変なところでコツコツやる子です。どこか自分と重ねてしまいます。
 ゲームが終わったらしい闇子は、制服のまま新緑色のベッドの上に大の字になりました。
「ねえ、闇子。いい加減身体をかえしていただけませんか?」
 机に置かれた鏡越しに闇子を見ます。
「寝るって言う行為を久々にさせてくれよ」
 闇子は酷く疲れた様子で大きくあくびをしました。確かに悪霊には肉体がありません。寝るという行為をする必要がないのでした。考えたことがなかったです。今度、どういう意味か聞いてみるのも面白いです。どんな反応をするのでしょうか? 楽しみです。

 その刹那。

 道場から大きな木が割れる音がしました。それと同時に、動かない身体でも分かるぐらい、イヤな感情がドッと流れ込んできます。
「なにごとだ?」
 闇子は起き上がり、わたくしがいるコンパクトをポケットに入れると、音がした道場に向かいました。

「くそう。くそう!」
 轟さんは道場の柱に拳を何度もぶつけていました。柱にはヒビが入っています。この柱はわざとに壊れる形にしてある柱なのですが、毎度毎度直す大工さんが大変そうだな、といつも見てて、今回もそうなんだろうな、とぼんやり考えていますと、
「おれは都子と結婚するんだ! あの美しさをおれのものだけにするんだ!」
 ものすごく気色悪いことを叫んでいました。興奮のためか、轟さんの息は荒いです。その姿すべてが、何もかも不気味で気持ちが悪いです。身体は乗っ取られていますが、本気で吐きそうです。わたくしがこの身体を操っていれば、確実に吐いています。
「はん。誰と誰が結婚するって言っているんだ?」
 スッと柱のそばに闇子は立つと、轟さんを煽りました。
 轟さんは顔を真っ赤にさせ、
「美しい女が強い男と付き合うのは自然の摂理! オレと付き合え! そして、結婚しろ!」
 こう、大声でがなり立てました。
「お前みたいな下品な考え方のドヘンタイと結婚するなら、幼馴染みの例のバカと結婚した方がまだマシだぜ。少なくても、彼には人間の心はある」
 闇子は再び煽りながら、ゲラゲラ笑い、轟さんを指さしました。
 轟さんは血が出んばかりに、拳を固く握り、
「お前は男のプライドってものを知らないのか! 世間知らずだと思っていたが、ここまで酷いとは思わなかった」
 と言って、大きく振りかぶり、わたくしの「身体」めがけて拳を振り下ろしました。これは、本気で殴りかかろうとしています。わたくしは恐怖心から視界を見えないようにしました。
 視界を開けると、闇子はその拳を片手で軽々と握っていました。そして、もう片方の手も腕を掴むと、懐に入り、その勢いで轟さんの身体を背負い、肩から大きく投げました。轟さんの身体は宙を舞い、畳の上に落ちます。いわゆる背負い投げです。畳に重い衝撃音が響き渡りました。
「この程度で最強の弟子なのか。弱いったらありゃしねえ。どこが『強い男』んだよ。ふざけるのも大概にしとけ。今度、ここの道場破りでもさせてもらおうかな。あははっ」
 末恐ろしいことを両手をはたきながら、軽々と笑う闇子は、
「あのさあ。言っておくけど、相手を拳で言うことを聞かせ、人を装飾品代わりに扱っているのはプライドなんかじゃねえよ。それはただの『支配』だ」
 轟さんに力強く、そして怒りを込めた声でこう叫び、
「闇の力を以て天誅を下す!」
 とまじない文句を唱え、指さし、 
「真実の扉よ、今開けん! 男のプライド? はん! そんなの犬に食わせておけ! 乙女をなめんな!」
 弱々しく起き上がっていた轟さんに向かって回し蹴りを食らわせました。
 轟さんはもろに蹴りを食らい、そのまま泡を吹いて倒れ込みます。
 ちょっとだけ不安になったわたくしは、
「大丈夫ですかね? 死んではないですよね?」
「寝ているだけだ。死んじゃあいねえよ」
 闇子はコンパクトミラーを開き、返事をします。表情は穏やかでした。
「んじゃ、返すぜ」
 一回、視界が暗くなったと思ったら、身体に自由が戻りました。


 
 次の週。今日はあいにくの雨。カーテンは閉め切っているため、外の様子は雨の音しか聞こえません。湿気がノドに張り付き、そして本が傷まないか不安になります。
 文芸部部室でいつも通りの読書会をしていたときでした。
「あのさ、この前話した轟ってヤツ、恋愛に失敗して高校をやめたそうだけどさ。都子、なんかしたの?」
 鈴は醤油のりせん片手にわたくしに尋ねます。
「いつも通り、彼女の仕業です」
 鈴にコンパクトミラーを見せました。いつもより表の蝶のビーズがキラキラ光っているように見えます。
「ああ。彼女ね」
 闇子を知っている鈴は納得したように苦笑いをします。
「今、彼女はなんか言っているの?」
「ということなので、闇子。伝えることありますか?」
 わたくしはコンパクトミラーを開くと鈴の質問を闇子に尋ねました。意思疎通ができるのは身体を使っている方なので、現在鏡の中にいる闇子と鈴は会話できません。
「好きでもないヤツにキスを迫るドヘンタイに付き合わされたこっちの身ににもなれ。大事な都子が傷ついたら、あたしが傷つく」
 わたくしは一語一句間違えずに鈴に伝えます。なんか白々しいことを言っている気がしないでもないですが、そこはスルーします。
「そりゃあ、気持ち悪いよ。その場の流れだけで彼女じゃない人にキスを迫るなんてさ。勘違いにも程があるって」
 コーラを一口飲んだ鈴は、
「ねえ、そのキス魔はどうなったの?」
 野次馬顔に聞いてきました。
「昨日、破門されました。どうやらあの闇子の件のあと、いくつもの暴力沙汰が発覚して、補導をされたそうです。その流れで退学になったのかもしれません」
「人のことは言えないが、あんなガラの悪い連中とつるんでいる時点でなんかあるって思っていたぜ」
 闇子はぼそり呟きます。声のトーンはいつもより低めです。
「見事だね、闇子さん。不良からファーストキスを守ってくれた上に、今回も人の闇を暴くなんて」
 鈴の高笑いに、わたくしは首をかしげます。
「そんなものなのですか?」
「少しは感謝しろよ、都子」
 闇子は呆れたように溜息をつきました。